失われた20年に生まれた女子のベトナム・ダナン生活 -2ページ目

失われた20年に生まれた女子のベトナム・ダナン生活

2018年3月よりベトナム・ダナンに引っ越しました!
ここでは日々の生活や思ったことを綴りたいと思います!

こんにちは!AIKOです! 

今日は私がフランス人の夫と結婚して驚いたことを紹介したいと思います!

私の夫と、

私の周りのフランス人で共通している点を書いたので、

フランス人だから、 というより、

こんなフランス人もいるんだな、

という視点で見て頂けたらと思います。 

 

1. 物・お金を超大事にする

 

私の夫はミニマリストというのでしょうか、 

最低限必要な物しか買わないし、持ちません。 

そのため、服もあまり持っていません。 

スーパーでもビニール袋を使わないように、 

手提げバッグを持っていきます。 

 

私は彼からそういった部分は本当に学ばせてもらっていて、

お金、物を大切にすることにより、 お金、物への感謝が生まれるようになりました。 

買い物をするときは、 

「本当に自分たちが必要なものかどうか」 をきちんと議論し、

リサーチをして、 リストにまとめます。 

服は、下着と靴下以外では、

夫はH&Mのようなファストファッションの服を一切買いません。 

ファッション業界は、質は同じでも、 ブランドがつくだけで価格に差が出ます。 

長期間使用できるくらい質が良く、尚且つ、 

ほぼ原価に近い服を買おうとしますw 

 

ただ、下着と靴下は穴が空いても使うので、 

それは本当に辞めて欲しいですww 

 

 

2. 政治・経済の話が好き 

 

とにかく政治や経済の話は延々とします。 

それに対して自分自身の意見がないと、 

「あなた大丈夫?」と思われたことがありましたww 

「あなたはどう思うの?」 といつも聞かれます。

夫のクリスマスで家族全員と集まった時、

議論が白熱していました。

 

 

3. キレる時は上手な皮肉交じり 

 

キレたり批判したりするときに、 

もはやアートのような上手い皮肉が口から出ますw

もはやキレ返す気が無くなりますww

今すぐには思いつきませんが、

今度観察してメモを取り、

皮肉集を作ってみようかなw

 

 

4. 芯がある

 

小学校の頃から、

暗記教育だけではなく、

エッセイの授業が多かったのか、

自分の中に芯がある人だと思いました。

世の中の答えは一通りではなく、

自分がまずどう思うかが大事だそうで、

彼の中で自分がどうあるべきか、

どう思うのか、

というのが早い段階で確立しているようです。

 

いかがでしたか?

夫と出会ってまだ5年なので、

まだまだフランス人をわかっているわけではないですが、

これからもいろんな発見を書いていきたいと思います!

 

 

 
 こんにちは!AIKOです!
 実はおっちょこちょいな私。
 東京で10回くらい財布や携帯を失くしたことがありました。
 さすが東京、全て返ってきました。

 実はダナンでもやっちゃいましたww
 財布を2度、携帯を1度無くしましたが、
 全て戻ってきました(泣)

 財布は1度カフェのテーブルへ、
 あと1度は路上に落としました。

 カフェの時は店員さんが保管してくれ、
 路上の時は、目の前にある家のおじさんが保管してくれました(泣)
 お金もとられておらず(嬉)

 携帯はタクシーで失くしましたが、
 タクシー会社に電話したら運転手がタクシー会社の事務所に届けてくれたそうです。

 私はただラッキーだっただけかもしれません。
 実際はW杯中に夜中にひったくりにあった日本人の友人もいます。
 全員が皆良い人とは限りませんが、
 ダナンでは良い人ばかりに出会っている気がします。

 実際Youtubeで以下の実験をした人がいます。

 「社会実験 ダナン、ホイアンで財布を落とす」

 動画にもある通り、
 ベトナム人の若者がダナンとホイアンで40個の財布をわざと落とし、近くで別カメラで観察してみました。

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 すると、多くの人が、
 本人にすぐさま財布を落としたよ、と伝えるのです。
 
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40個中、実に34個の財布が戻ってきました。
素晴らしいですね。
ただ、財布を落としたのはベトナム人の若者なので、
 これが外国人だったら、
 良いスーツを着た大人だったら、
 結果はどうなのか、気になります。

 


 

こんにちは!AIKOです!

先月はワールドカップで盛り上がりましたね。

フランスが優勝して、私の旦那は大盛り上がりですww

 

 

フランス人だけでなく、ベトナム人も超大盛りあがりでしたw

どのカフェに行ってもローカルベトナム人で満席です。

しかも、大きな声で応援していますw

 

それもそのはず、彼らはスポーツ賭博をしているのです。

ベトナムでは2017年1月に競馬・ドッグレースおよびサッカー国際試合を対象とする賭博パイロット事業を容認する決定を下しました。

同法が成立したことにより、スポーツ賭博が合法化されたことになります。

ただ、厳格な政府管理下に置かれ、透明性、客観性、誠実さが保証されると同時に、利害関係者の権利と義務を確実にする必要があります。

もともと、ベトナムでは少額賭博であれば当局の許可を得て賭博業を開業することが可能です。

公布された政令によれば、1回当たりの賭け金が1万ドン(約50円)、

1日の総額が100万ドン(約5000円)までなら大丈夫とのこと。

ただ、今回のワールドカップでは逮捕者が続出。

逮捕された者の中には日本円で億円単位の賭場を開いていたケースがあったそうです。

 

ベトナム人は、資金を手に入れるため、

質屋でスマホやバイクを担保にし、お金を借ります。

特にスマホは高級で質の良いものを保有しているベトナム人が多く、

弁済に来れない消費者がいる場合、それらを質屋で売却してしまうそうなのです。

金利はこの担保する物の需給で決まるそうで、

100万~200万ドン(約5000~1万円)を貸した場合の金利を、

500万~1000万ドン(約2万5000~5万円)融資したときより高く設定する抜け目ない業者もいるそうです。

 

今回のワールドカップでは番狂わせが多く、

多額の損失を出してしまったベトナム人も多いそうです。

負けた分の資金を取り返せず、

私の近所では家を売却してしまう人や、

自殺者も続出しているとニュースで見ました。

夜中に街を徘徊していると、

スリやひったくりに遭った外国人の友達も。。。

ダナンは安全だと思っていましたが、この時期は気をつけた方が良さそうです><

 

 

 


 

 

 

 こんにちは!AIKOです!

 しばらく更新できずすみません><

 東京はかなり暑かったようですね。。

 ダナンに来る日本人の方が口を揃えてそうおっしゃっていました。

 

 今日は私の携わっている仕事の一つを紹介したいと思います!

 

 今ベトナム国内のベトナム人向けの開発に携わっているのですが、

 これこそが、私がまさしくやりたいことだと実感しています。

 

 正直、ホーチミンも、ダナンも、高級物件がたくさん建ち始めており、

 誰が住むのかなあ、といつも疑問に思っています。

 (ダナンの場合、利回り10%保証の高級ホテルコンドの供給が多いので、観光客が増えているとはいえ、そこまで需要あるのかなと疑問に感じています)

 

 一方で、ホーチミンやダナンでは、中心街の土地価格高騰により、

 低所得層、中級層の住める物件も限られてきています。

 

 

 今私たちが携わっている開発は、

 そんな低所得、中間層向けの住宅です。

 

 

 こちらはかつてのプロジェクトのうちの一つ。

 ダナンにある社会住宅(日本でいう団地のようなもの)

 10年前に建てられ、全部で8棟。

 

 販売当時は日本円で約100万円ほどでした。

 真ん中に公園があり、この団地の交流場所となっています。

 

 近所で協力して子供の面倒を見ているのを見ると、

 かつての日本の昭和の雰囲気を感じます。

 

 

 こちらはクアンガイという地方にある中間層むけの戸建物件。

 ハノイ、ホーチミンでは土地が限られるので、マンションが多いですが、

 地方は戸建派が圧倒的に多いです。

 この都市は、

 多くのベトナム資本、外資の工場が進出しており、

 そこで働く人々の家が不足しています。

 また、家だけを作るのではなく、

 区画整備や、インフラ整備もして、その周辺環境を整え、小さな街を作っています。

 そこで必要となるレジャー施設、教育、医療施設の誘致も行います。

 

 

 ウォシュレットも付いていますww

 

 

 モデルルームはこんな感じ。

 

 

 会社の代表である私のベトナム人のボスは、

 もともと日本で留学、設計事務所で働いていた方なのですが、

 日本に来て、みんな当たり前のように、

 マイホーム購入を人生プランに入れていることに非常に驚いたそうです。

 

 ベトナムでは特に2009年以降、金融引き締めにより、

 国民の多くは融資を受けられないため、

 マイホームを購入できません。

 マイホームは夢のまた夢の話です。

 

 相続税がゼロなので、

 親から相続した物件がある家庭は良いですが、

 そうでない限り、親戚から借金をするしかありません。

 

 また、土地の価格も未だに高騰を続けており、

 低所得層、中間層が購入できる物件も限られています。

 

 

 今私たちが行っている開発は、

 土地の有効活用です。

 政府や企業が使用していない、市場に出ていない土地を安く仕入れ、

 購入者に、相場価格よりも30%以上安い価格を提示することができます。

 

 そのため、販売と同時に物件は瞬殺で売れてしまうのですw

 

 高級物件はたくさん出回っているのに、

 低所得層や中間層向けの住宅はまだまだ足りません。

 

 「家」って、人間が生きていくうえで、大事だと思うんです。

 フィリピンのスラムでいろんな家を見てきましたが、

 綺麗な家で過ごせば、心にも余裕ができます。

 汚い家にいれば、心の余裕がなくなります。

 

 人々が必要としているものを作ることに、これからも携わっていけたらと思っています。

 

 

 

 

 

 

こんにちは!AIKOです!

本日は昨日の記事の続きをお話したいと思います!

 

祖母は夫にすら、50年間一度もベトナムの話をしませんでした。

「自分のルーツを知りたい」

そんな思いで彼女の息子たち(旦那の母の兄弟)は自ら自分のルーツを調べました。

 

やっとの思いで探し当て、

家族でベトナムに会いに行くこととなりました。

せっかくの思いで探したにも関わらず、

祖母は頑なにベトナム行きを拒み続けます。

 

祖母をなんとか説得し、やっとの思いで実現したベトナム行き。

子供達にとっては初のベトナム。

初めての文化。

子供達、孫たちは、感慨深い思いでした。

 

しかし、祖母にとっては、50年ぶりの家族との再会にも関わらず、

どこか浮かばれません。

10歳でフランスに来たので、

ベトナム語も既に忘れてしまったようです。

ベトナム側の家族は、祖母の再会に心から喜んでしました。

 

フランスに帰国してから数日。

祖母は毎晩悪夢にうなされていました。

「2度と私の目の前でベトナムの事を話すんじゃない!」

しまいには、兄のことを、

「あいつはクソだ」

と言う始末。

謎に包まれたままでした。

 

祖母はそれ以来何も語ることなく、

亡くなってしまったのでした。

 

それから数年後、

子、孫たちで再びベトナムを訪れることになりました。

 

ふと親戚たちの集まりで、

祖母と仲の良いいとこが初めて顔を出していました。

何やら彼女が手紙の束を見せてきたのです。

 

たくさんのベトナム語の手紙。

差出人は、祖母でした。

 

「私は無事に元気でやっているよ」

「孫が生まれたよ」

 

祖母はベトナム語を忘れていませんでした。

むしろベトナムへの思いは、本当は非常に強かったのです。

 

そのいとこは、それ以上多くを語ることはありませんでした。

 

多くの謎が残ります。

なぜベトナムへ帰ることを頑なに拒んだのか。

なぜベトナム語を話せないふりをしていたのか。

フランス帰国後の悪夢はなんだったのか。

ベトナムを去る時、何があったのか。

 

当時、祖母の兄は病気で寝たきりでうまく話せない状態でした。

ある日急に、旦那に対し、フランス語で必死に泣きながら話しかけてきました。

 

「君のおばあちゃんに、本当にすまなかったと伝えてくれ。

俺は後悔している」

 

その言葉を残し、天に逝ってしまいました。

 

謎は深まるばかり。

今祖母のことを詳しく知るのは、年老いた彼女のいとこのみ。

彼女は他のベトナムの家族と距離を置き、

一人でひっそり暮らしています。

 

旦那も、旦那の母も、本当のことが知りたいと強く思っています。

残された時間はあと少し。

また、家族で祖母のいとこを訪れる予定です。

 

また何かわかりましたら、

アップデートします。