こんにちわ。今日は私のBlogタイトルにある『ご縁に感謝』にある
「感謝」についての、私の想いを書いてみます。
まず、私が神社や神様を貴ぶようになったのは、それらとは無関係に見える
こんな経験だったかと思います。
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ある日、 ある頃、 いつだったかな。 ふと思ったのです。
誕生日って何がうれしいのだろう?
他人(ひと)の誕生日を「おめでと~~う!」と祝うけれど、
よく考えてみると、自分は本気で祝っているとは思えない。
儀礼的にその場を済ませているだけ。
なんかおかしい!
二十歳も過ぎると、他人から誕生日を祝われれば、「ありがとう」とは返すけれど、
じつは全然嬉しくはない。
はて、自分の誕生日って、誰が喜んでくれるのだろう??
???
恋人や兄弟だって、多分私と同じ程度の気持ちで、儀礼的に祝ってくれているのでは?
?????
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ああ、
きっと両親だけは
「〇年前にこの子が生まれて来てくれたんだ」
「病気もした。 問題児だった。 相変わらず困った奴(子供)だが、少しまともになったな」
「色んなことがあったけど、今こうして育ってくれているんだなあ 」
「 ・・・・嬉しいな」
父親などは、誕生日を忘れていることもしばしばだった。
母親も、まあ似たようなものだったのか、照れ隠しだったのか・・
「ああ、そういえば。今日はお前の誕生日だったね」 とそっけなく。
でも二人とも、少なくとも険しい表情はしなかった。
何となく喜んでくれているような、一瞬を感じた気がします。
その頃から、私はこう考え実行するようになりました。
『自分の誕生日は、生んでくれた、親に感謝する日』
そして
「父の日、母の日は省略するけど、自分の誕生日には、どこかへ一緒に行こう。
食事でもいいし。それがだめなら、自分が出向いて来るから。顔を見せるから」
と、宣言?しました。
両親たちは静かに喜びながら、受け入れてくれていたと思います。
実は2回を1回にして、面倒を合理化したのではないかという、少し罪の意識も感じるのですが、
誰かが勝手に作った父の日・母の日に、
儀礼的に感謝を表すことよりも、よほど本質的に理に適っている。
(もちろん、きちんと感謝している人もいるでしょうが・・・)
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私は、この頃から「感謝」について、感謝という言葉ではなく、心で考える(感じる)ようになれました。
・・と思っています。
感謝という漢字を見れば、まさに「感じて謝する」と書いてあるわけですね。
そして、ついでにこの頃から
『物事の本質って何だろう。 どう成り立っているのだろう』
という視点にも立ち、考えるようになり、今日に至ります。
そんな中で、「防災」や「パワーストーンの浄化」を考えるようになりました。
どちらも、
本質は何か、どうしてそれが必要なのか、
そういったことを考える時には、先人たちや先祖たちへの「感謝」をする(感じる)わけです。







