こんばんは。久しぶりにブログ更新です。
何のためにアメーバ登録してるんだ!と、つっこまれてもおかしくないぐらいアメーバに来るのが久しぶりです。
さて、そんな生存確認出来る確率が低い私ですが、明日、成人式に参列します。
明日を迎えるにあたり、色々あったことをだらだら書きたいと思います。
なので、
注意事項
文脈が色々あちこち移動します。
同じことをたぶん何回も書きます。
そんなうざいの読みたくないという方は読まないほうが無難かと思います。
以上





ここ1年ぐらいを振り返ってまず思いつくことは、嫌なことに気づいてしまったことです。
その嫌なこととは、「自分は死んだ方が幸せになれる人間である」ということ。
何故そのような結果になったかというと、私は考えるのが嫌いである。
無駄にだらだら変に考えるから疲れるしいやな考えがなかなか消えない。
何にも考えない状態ということは、死んでいる時ではないか。
だって、死んでしまったら「私」と言う意識はこの世から永遠に消え去るのだ。
それと同時に私は死んでもなりたくないものがある「親不孝者」である。
私は母が大好きだ。
自分の母親が言葉にはできないが、凄い人だからでもあるし、私に愛情を惜しみなく注ぎ育ててくれた。
そんな母が家で祖母との会話が今も頭の中にある「親不孝者とは親よりも先に逝くことである」その思考が私の中にこびりつき、離れない。
さて、ここで無人が生じる。
死んだ方が幸せになれる自分。
死んでも親不孝者になりたくない自分。
これを結び付けたら、自分は親不孝者になることで幸せになれるということである。
そうそれは、自分の中の最上級に愛する人を悲しませることが自分の幸せだということ。
そのことに気づいたのは去年の夏。
私のここ1年ぐらいであった中では一番の衝撃であり、一番鬱になりやすい思考回路だった。
しかも仕事で疲れると死んだ後のことなどどうでもいい、となるのだ。
そして、夏が終わり、秋が過ぎ、冬の師走に入った。
その頃は会社の中枢に近い仕事を引き継いでいる時で、私みたいな死にたい人間がこんな仕事をしていいのかという悩みと夏からずっと消えない思考回路に悩んでいた。
そんな時に朝の9時から夜の10時近くまでの仕事を毎日していたら、鬱になった。
病院に行っていないが、たぶんあの時私は鬱だったと思う。
そして、限界がきた。
難しい仕事を押し付けないでほしい、自分には出来ないんだ、死にたがりのでも死ねない臆病な自分に、など、思考が回るまわる。
そして確か、夜8時から10時まで泣き続けたのだ。
もちろん泣き始めに仕事は帰らされた。
そして、私は母に泣きついたのだ。30分ぐらいは母の寝ている布団の隣で泣き続けた。
この時はまだ母への後ろめたさで、自分は母を悲しませることが幸せになるということを伝えて無かった。
これも昔のことがある。
たぶん私は小学生で、何か、生きるのが嫌になった時ほとんど意識しずに母の前で「死にたいな」と口にしてしまった。
その時の母の反応は今でもある意味トラウマだろう。
「それなら死ぬか!!」といつも私に美味しい料理を作るために使う包丁をまっすぐ私に向けてそう言った母。
その時は恐怖から撤回した。
それがあったからなおさら、私はこのだれにも相談できないこの悩みを、ざっと5ヶ月間自分の中にしまっていたが、鬱状態の自分は限界だった。
そして、泣き続けた30分後私はこの思考回路を母にぶちまけた。
だが母は「今の状態から脱したいからそういう思考回路になる。自殺する人はたぶんみんなそうだ。今よりも幸せになりたくて、そうするんだ。だけど、思うことは罪ではない」
昔の包丁事件を言うと「それはお母さんが悪かったなーずっとつらかったなー」
と、言ってくれたのだ。文面だけなら軽い返事だが、実際に聞いた私は母の後悔を聞いたのだ。
それからは何度も確認した。
死にたいと思っている。思うことは罪じゃない。歩惟は真面目だから思うこと自体許せないだね。
そして、フェイスタオル1枚が涙と鼻水でべっとり濡れる頃、ようやく涙が止まった。
仕事場から帰り道、そして、母の隣に行くまで止まらなかった涙が2時間という時間をかけてようやく止まったあの夜が一番の出来事だと思う。
さて、明日は着付けで早起きをしなければならないので、今日はここまで。
それでは、明日は頑張ってなうに出没しようと思います。
藍さんと振袖姿見せ合う約束もあるので!!
では。