こんにちはHiromiです^_^
いつもご覧頂きありがとうございます
そして、今日も素敵な一日に感謝します
「人生に苦労や困難はつきもの」
いわゆる災いというものも、天から降ってくることもあります。
生きていくために働き、会いたくない人とあったり、やりたくもないことと向かい合わなければならない時もあります。
平穏な日々を望んでいるけれど、なかなかそのようにはいかないものです。
“自分の心に正直に”生きる、ことをすれば周囲との衝突も覚悟しなければなりません。
波風立てずにいようとすれば、心が抑圧されていきます。
とかくこの世は、、、
(苦笑)

人生で何が起きたとしても、心がどんなに乱れたとしても、その奥には静かに見守り続ける“もう一つの意識”があります。
普段私たちは、様々な現象に巻き込まれているのでそれをすぐ見失ってしまいます。
表面的な意識=「マインド」と
「奥にある静かな意識」(長いので〈静〉とここでは表記します
)

マインドは時間の中に存在し、静とは常に“いまここ”にあります。
こうして文章を読んでいる時も、「マインド」が「静」を考えていて、わかった気になっています
「マインド」は「静」を知ることはできません。決して。

「マインド」は「静」を知ることはできません。決して。
何故なら、「マインド」から離れた・いない時に「静」があるからです。
「マインド」の特徴として、意識が拡散している状態なので、それはまるでヒビ割れた鏡のように、一度に沢山の情報・映像を映し出すからです。
「マインド」の特徴として、意識が拡散している状態なので、それはまるでヒビ割れた鏡のように、一度に沢山の情報・映像を映し出すからです。
いずれこれはストレスとなります。
「よし!やろう」と感じたかと思えば、「いやいや、やめた方がいいよ」と言い、
「よし!やろう」と感じたかと思えば、「いやいや、やめた方がいいよ」と言い、
「やめとこうかな、、、」と感じたかと思えば、「やるべき!」と言ってみたり
同時に起こるので、ストレスが溜まります。
そしてその割れた鏡は、ありのままに映すことが出来ないので様々な問題を生みます。
自分の本質である「静」を忘れたままでいる人は、その苦しみが続いていきます。
苦しみと束の間の休息。
自分の本質である「静」を忘れたままでいる人は、その苦しみが続いていきます。
苦しみと束の間の休息。
そして、次の段階で「マインド」の奥にある「静」の存在に気づきます。
でも、いつもそこにいられるわけではありません。
何か問題が起きたとき、不意な出来事が自分をおそったとき、すぐ「マインド」の世界に逆戻りしてしまいます。
また混乱し、その苦しみにハマってしまいます。
この気まぐれな変化に依存しているんです。
また混乱し、その苦しみにハマってしまいます。
この気まぐれな変化に依存しているんです。
それでも人はいついかなる時も、この「静」を忘れずに暮らすことが可能です。
背後に決して乱されることがない「静」があることを知っています。
背後に決して乱されることがない「静」があることを知っています。
同時に、すべての現象が空(くう)、という基盤の上で、生まれては消えていくことを知っています。
どんな嵐に見舞われようと、海が荒れようとも、その奥深くの深海では何事も無く存在し、海そのものに何の変化もないことを知っている。
最終段階は「自分」が消え、そこには「全体」があると言われます。
それが涅槃(ニルバーナ)という状態です
それは、私自身も普段の生活の中で日々精進していくこと。
マインドが作り出す様々な苦しみに、惑わされず「いまここ」を思い出すこと。
これからも共に歩んでいきましょう。
こうして何かのご縁で今、出会えたのですから





Love and gratitude, to be with the light
最後までご拝読頂きありがとうございます
〜自分に素直になる〜
ご質問などありましたら、お気軽にどうぞ。
生きとし生けるものすべてのものに、、、
愛と感謝をおくります
音叉と愛の周波数である528Hzという音の中でヨガを通して、60兆個もある細胞さんに働きかけ回復と修復をします。
そして少しでも一人ひとりの心と身体からの調和を繋ぎ、気づきを経て日本から世界、地球から宇宙へと輪が広がっていくよう微力ながら活動させて頂いております。
愛感謝
~HITUKIYOGA・Hiromi~