こんにちは! Hiromiです
いつもご覧頂きありがとうございます
そして 素敵な一日に感謝します
冒頭からいきなりですが 「自分」をじっくり考えたことありますか?
「どちら様ですか?」と聞かれれば、大抵の人は
「〇〇太郎です」 とか
「〇〇花子です」と名前で自分を紹介します。
考えてみれば名前自体は自分じゃないし、生まれが違えば違う名前だったわけで、、、。
自分を表す要素が、職業であったり、経歴であったり、出身地、肩書き、家系などetc、、、
何が言いたいかって??
そのあらゆるアイデンティティ(自分を証明する要素)を取り払っても残るもの、それが“自分”なのかなと思う。
顔を整形しても、体を改造しても、性転換しても、変わらないものですよね。
老子のこんな話があります
『私は昨夜、夢を見た。私は蝶々になっていて、空を飛び回っていた。
それはとてもリアルな夢で、今こうしている現実以上の確かな実感があった。
そして夜になると、蝶々の自分は夢さえも見ていたんだ。
それはとてもリアルな夢だった。
さて私は今、ある問題を抱えてしまった。
それは私が蝶々の夢をみたのか、それとも蝶々が私の夢をみているのか。。
さて、どっちだろう』
弟子たちに語ったとされている、とても興味深い話です
さあ実際にどっちだと思いますか?
私が蝶々の夢を見たのか、それとも蝶々が私の夢をみているのか、、、
答えは
「どちらも自分じゃない」
老子である自分にしろ、蝶々である自分にしろ、どちらも夢のようなもの。
しかし、その夢を見ている者がいる。
その夢の自分を認識している者がいる。
とすれば、それは“自分”ではないか。
大丈夫ですか? 話についてこれていますか
消し去って、消し去って最後に残るもの、言葉の領域を超えて、それは体感するしかないかもしれない
人間は何でも外から見える自分の状態=体裁を重視し、権威付けして、ことを難しくしてしまいます。
ヨガでは年齢も違う、性別も違う、それぞれが自分と向き合いながらレッスンに励む姿に、本当に素晴らしい空間を共有しあえることに日々感謝の一言です
忘れないでいてほしいことは、「あなたという人はこういう人だ」などと規定出来るものは何一つないということです。
ヨガは何かを披露するところではありません。 面白いもので、ヨガは頑張れば頑張るほど、何かを求めれば求めるほど、遠ざかりやがて“自我”が出てきます。
それも本来の目的といえばそうですが、
私、、、見ていないようで結構見てます
アライメントとは別に、目ではなくて、感覚と言いますか、、直感といいますか。。。
その共有していく空間の中で、私は心と身体の調和を観察しながら大切にしています
あなたとは形のないもの。
無限に広がる大いなる存在そのものですから
生きとし生けるすべてのものへ、愛と感謝を送ります
今日もまた最後までご拝読頂きありがとうございます
HITUKIYOGA-akasha Hiromi's HP
生きていることに感謝、生かされていることへの感謝、人に支えられていることへの感謝。そして神仏へ生かされている喜びを精いっぱい感謝の心で表現することを胸に
~HITUKIYOGA・Hiromi~
音叉と愛の周波数である528Hzという音の中でヨガを通して、60兆個もある細胞さんに働きかけ回復と修復を行っております
そして少しでも一人ひとりの心と身体からの調和を繋ぎ、気づきを経て日本から世界、地球から宇宙へと輪が広がっていくよう微力ながら活動させて頂いております
いつもありがとうございます
Smile&Happy
愛感謝 Hiromi