とんちゃおばちゃんというのは
私の母のお姉さんで
いわゆる私の伯母さんです
名前は富子さんで
みんなから『とんちゃん』と呼ばれていて
幼かった私と妹は『とんちゃんおばちゃん』
と呼ぶのが難しく
ずっと『とんちゃおばちゃん』
と呼んでいたのでした
『とんちゃおばちゃん』は独身で
私が子どもの頃は 会社の奥の離れに住んでいて
それから会社の近くのマンションを買って引越しし
私が中学生の頃に藤枝にお家を買って引越しました
ずっと一人暮らしで子どももいないので
私たち姉妹をとても可愛がってくれて
とくに私は同じ長女で考え方ややりたいことが
似ていたためか
2人目のお母さんのように可愛がってもらいました
とくに私が高校生の頃は
私が清水から藤枝の学校に通っていたこともあり
時々おばちゃんの家に泊まりに行き
そこから学校に通うこともよくありました
特に 文化祭の前後で作品作りのために
帰りが遅くなる1ヶ月半ほどは
下宿のようにそこに泊まり込み
毎日朝食やお弁当を一緒に作り
駅まで車で送ってもらって
そこから友達と自転車で学校に通い
帰りも駅まで友達と自転車で帰ってきて
駅から電話をかけると車でお迎えに来てくれました
いろんな話をしたり
仕事について行ったり
ショッピングに出かけたり
親にお願いしてもなかなか買ってもらえないものを
買ってもらったり
宝塚やシャンソンのコンサートに
2人で出かけて楽しんだり
文化祭の打ち上げのときには
先輩の家までの送り迎えもしてもらい
親のようにあいさつをしてくれたりもしました
私が小学生の頃に
とんちゃおばちゃんの膝に腫瘍が見つかり
放射線や抗がん剤治療が始まり
腰にも転移して さらに治療を続け
その後 転移では無く乳がんも発症し
母とおばちゃんの弟である
よしのりおじちゃんの出身校である名市大病院に
当時乳がん治療の良い先生がいて
そこに何度か入院して治療をしました
私が名古屋の大学に進学して
天白区に住んでいた頃も
とんちゃおばちゃんの治療は続いていたので
私は おばちゃんが外来で名古屋に来るときには
名古屋駅で待ち合わせをして
病院の付き添いでついて行ったり
食事やショッピングに行って気晴らししたり
おばちゃんが入院しているときには
ちょくちょく差し入れを持って面会に行き
長い間 一緒に時間を過ごしました
私が大学を辞めて清水に帰ってからも
よく二人で出かけたり
当時私が大好きで集めていた香水を
いろんなところに見に行って
買ってもらったりしたな…
私は 最終学歴が中退 というのは嫌だったので
家から通える短大の食物学科に入学したときは
母の一声で
母の代わりに とんちゃおばちゃんが
入学式に参列してくれました
子どものいないおばちゃんは
初めての姪っ子の入学式に目を少し潤ませて
喜んでくれました
私もなんだかその時は
おばちゃん孝行が出来たような気がして
嬉しかったです
とんちゃおばちゃんが亡くなったのも
何度か入院した名市大病院でした
こうし長々と話してきたことが
タイトルに繋がるまで もう少しかかりそうなので
ここで一区切りして 後半はまた
次回にゆっくりと語ろうと思います
②につづく… ということで…
おやすみなさい
