何年も前にまだ生活も苦しくて心身とも症状が辛かったとき


温かい時期は比較的皮膚の症状は軽かったので

たまに友達に会ったりしてたのですが

友達の前では元気なふりをしてました。


というよりも、自分もいっぱいいっぱいで


生活面も心身も苦しかったのに


外ではあまり言いたくないから

(言ってどうなる訳でもないので)


人のお役に立ちたいような

悩みをどうにかしてあげたいという

エゴいっぱいの気持ちで人と関わってました。


自分が話すよりも聞き手に回る。


そうする事で自分を成り立たせていたんだと思います。

共依存の世界ですよね。


会っていた2名(別々に会ってました)は

お子さんの事で悩みを抱えていて


私に会ったり用事があって電話をすると

その事をずっと話していました。


起きてくる出来事は何かを教えてくれてるんだよと

対応策を伝えても耳を貸さずに

ただただその状況を嘆いたり怒りのお話しばかりでした。


いっぱいいっぱいだったのか

自分が話す事に一生懸命で話を聞くという

姿勢はまったくなかったようにみえました。


そのうちに日記のようなメールが度々来ることも。


その友達たちは自分に原因があるとは思っておらず

周りに原因があると思ってるので

悩み事は尽きません。


「kahoちゃんが一番信頼できるから。なんでも隠さず話せるから」


と言ってました・・・。


確かに私の仕事は悩みを聞くというのがあるので

他の人に言うよりも的を得た答えを伝えてたようですが

ただそれだけ。実際には愚痴の聞き役。


当時私は人に愛されたい、認められたいという気持ちが強かった。


だからその友達の少しでも助けになれればと思ってしまったのかもしれない。

でも、だんだんと友達の私に対する甘えが強くなり態度が横柄になり


そのうちにその友達からのメールが来ただけで

私は拒絶反応が出てしまうようになりました。


結局私の方から距離を置く形になったのですが

その決定打になったのは


友達が悩んでる事にこたえる形で


「私も○○な状態で大変だけど全ては自分の心次第だと思ってる」


という形で自分も今大変なんだよ。

でも自分に向き合ってやってるんだよ。


という事を伝えたら、びっくりするような軽くあしらう反応で帰って来たのですね。

あとは「深刻になりすぎじゃない」と。


ずっと私は悩みを真剣に聞いて答えて来たけど、

私がちょっと自分の事を話すとそういう反応なんだ・・・・・。


とびっくりして悲しくなって。

そこで限界が来てしまいました。


でも結局ね、これは自分が起こしてきた事。


自分が苦しいから人の気持ちも分かる。という思いもあったので

友達の悩んでる事もずっと聞いてきたけれど

疲れている自分もいたのにそれは無視していた。


そして何よりその時の自分を卑下してみていたので

周りに認められたい、愛されたいという求める気持ちがあったのですね。


今考えていたら私の事を本当に信頼してたら

私のアドバイス(自分に向き合う)を実践してたんだろうなあって(笑


それに私自身が自分を信頼出来てなかったから(笑

相手はそれを映し出しただけなんですよね。


それを教えてくれる人を引き寄せてしまった。


愛されたいって気持ちは苦しみを生み出す。


愛されたいってことは自分が愛されてないって観念だから

結局満たされないよね。


あの時の私はもっともっとそのまんまの自分を

丸ごと受け入れて上げてれば良かったんだよね。


そして悩んでる友達を自分のエゴで変えようとしてたとも思います。

彼女たちはただ愚痴を聞いてほしかっただけなのにね。


だけど愚痴は言っても毒吐いてる事になるから

結局自分の首絞める事になるだけだから・・・・。


でも、それもその本人が決めてやってる事。

それを体験する事を選んでる。


そんなことがありましたが

今思うとやっぱり学び満載でそこから得たものは大きいです。


いい人面するのを止めてからの方が生きてくの楽だし

人づきあいも広がったと思います。


時空素調整でセンタリングを合わせていく、そして彼とも幸せになりますよ~(笑)  


今は人に好かれようじゃなくて

自分に素直であろう。という感じです。


そして自分自身が幸せで楽しくいる事で

勝手に周りに伝わっていく。


相手を変える必要なんてないんだよね。


みんなそのまんまでいいのだから。