愛する夫との会話の中、お茶の話題があって、
そういえば、5月2日は「八十八夜」でした。
愛する皆様、いかがお過ごしでしょうか?
本日もご訪問ありがとうございます(*^_^*)
■鍛えられた美しい花
この時期に歩く時、足元にすごく目立つ明るい花。
たんぽぽの花を目にする度に何だか心が弾みますね。
生かされている以上、人生の節目には試練が与えられます。
「聖なる足跡を誰かの幸せのために残したい!」と願う私です。
例えば、馴れ合いの関係に対する喝を入れられる感じがします。
信頼されていると思い込んでいるだけで、ある時ズレが生じます。
ですが、もっと尊重したり、あるいは信頼される必要がある時、
天は実に見事に情的分断の契機を与えてくださるのでしょう。
決して、その情的試練を人間的に見たり判断するのではなく、
当然ながら、天に対する絶対的信頼を持って受け止めるだけ。
もちろん、不平や不満などはNGなのです。
試練とは自己の魂の成長のために生じます。
魂の成長に繋がる試練を感謝の心で乗り越えて生きよう。
幾度も試練を乗り越える度に美しい未来が開けていきます。
例えば、雑草とか、たんぽぽの花のように、
たくましく根を張り続けて生きていくのです。
天の愛によって鍛えられた、美しい花になって、
出会った人々の心を優しく癒していきましょう。
■痛みは神様の愛
私が掃除をしている時だったでしょうか。
どこかで頭をガツンと打ったのですね。
とっても痛かった。
こんな時も、この痛みを神様の愛だと受け止めようとします。
この痛みは神様の愛。
神様の痛みを何と私に教えてくださろうと悟るのです。
私の至らなさを気づかせようとして・・・。
悔い改めさせようとして、敢えて打たれる神様の愛なのです。
「神様の愛に感謝します。感謝します。感謝します。」
このように三度唱えて、痛みも愛と受け入れていきます。
本気で そう思える時から、
新しい私に生まれ変われると信じています。
親であれば、愛する子供の心を正します。
これ以上、子供が歩き続けていけば危ない時や、
大切な時に何をしているのかわからずにいたり、
方向性を見失うようであれば気づかせようとします。
親なる神様は、悟った我が子に感謝されて、
見えない愛の御手で抱きしめてくださるのです。
今日もここにお越しくださり、心から感謝します。
訪れた皆様のご健康と幸運をお祈り致します。
また、明日も このブログで
お会いしましょうね!\(*^_^*)/