今日は関ケ原へ!

行きしなから、道が混んでいる。


まずは、岐阜関ケ原古戦場記念館で情報収集。まだ新しい建物で、GWということもあり、人が多い。

ここでは不破関の情報はあまり得られなかったが、関ケ原合戦の内容はよくわかる。やはり、関ケ原は、壬申の乱時の「わぎみがはら」と同じ場所。展望台から関ケ原の景観をみると、小さな盆地をしており、東の谷を超えると、大垣の平野が広がる。











その後、不破関資料館へ。小さな資料館だが、内容は……。

そして、マップや発掘地図を見ながら、不破関を散策。まず行った北限土塁。これは残りが良く、永遠と続く。感動モノである。この土塁を北東隅から藤古川まで歩く。


北東隅で南に曲って、JR線路際まで。東限土塁は線路南側でも一部で確認しており、東山道(中山道)の南では、現南北道路が遺存地割として重なる。


南限土塁も、段丘上際でよく残存している。

西限は、確認されていないが、藤古川の段丘上に想定され、西と南は段丘上に土塁が巡ることがわかり、区画の中央を東西に東山道が通過する。

この区画内の、中山道北側に内郭がある。


壬申の乱の時には、しっかりとした関はまだないと考えられるが、この場所が重要だったので、関が作られたのであろう。立地的には、西側に対して強固な地形をしているので、律令期には、畿内からの逃亡を防ぐことに重点が置かれていたのであろう。これは鈴鹿関も同様。

このことが、900年後の関ケ原合戦でも、東軍が勝利したことも必然であっとのだろう。