今日の読売新聞に掲載されていたらしい。デジタル版でみると、確かに。
だいぶ前に取材を受けたが、もうそんなことは忘れていた。
まぁ、新説ではないのだが、最近はギヲ山西が有力視されていたので、それについての反論を整理しただけ。
ただ、記事の中にあった、大官大寺の近くに高市大寺があったとは言っていない。また、高市大寺の伽藍配置は推定する手がかりがないので、百済大寺の伽藍配置を当てはめただけ。ただし、結果的に下八釣集落に残る地割と一致すると考えた。
また、冒所で指摘されていた、金堂想定地の発掘で、重要遺構が確認されなかったことをもって、ここに寺院はないという意見もあるが、この場合、遺構が削平されていた可能性があるので、掘込地業がなければ残らないと考える。いずれにしても、広範囲な調査で、その有無を確認してほしい。