本日(既に昨日)、上記の研究会で久し振りに奈良女子大学へ行ってきた。

午前の部は聴講できなかったが、午後から新羅やベトナム、そして天下の概念などについての話を聞いた。
私の「天下」の概念は一般的な理解で、これまでその定義や歴史的な変遷、さらには各国における天下観など、深く考えたことはなかった。今回はこれらが、まだ確かなものとなっていないことは理解できた。これらの理解の共有と、各国での天下観の確立が、この研究会の意味なんだろう。

私は以前に「飛鳥の天下の中心」として、斉明~持統朝の飛鳥寺西の歴史的な変遷から、ここであるとした。須弥山や水時計の設置、蝦夷や隼人への服属儀礼が主な理由である。これが藤原京では王宮中枢部にうつると理解した。
これとて、あくまでも天下の中心の検討であり、「天下観」や「天下」の範囲を検討したものではない。
その意味で今回の研究会は、非常に勉強になった。

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