さて、本日は上記の研究会。メインテーマは恭仁恭であった。
いずれの発表も面白かったが、最も興味深いのは、宮の方位(振れ)によって時期差があるという見解。これによると、仮設の大極殿の推定値など新見解もあるが、内裏西地区が先にでき、後から内裏東地区ができたとする。
この場合、橋本説とは異なり、西が聖武内裏、東が元明内裏になる。しかし、小笠原さんのコメントにもあるように、東地区の方が規模が大きく、築地に囲まれ、南北の二つの正殿を考えると、こちらが天皇の内裏とみるべきであろう。
しかし、造営過程の復元との整合性をどうみるかが課題であろう。

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