小山田遺跡(古墳)の発表があった。
先日、見学させていただいたが、今回の調査では、古墳南辺の東西規模が80mを越えるらしい。これは古墳が南斜面にあるので、北辺と南辺では、裾で測ると大きさが変わるため。
もうひとつの成果は、藤原京期前後の甕棺が、石張を壊して、濠が少し埋まった後に、作られていること。つまり西濠も藤原京期には石張を壊していたことになる。
これらは、これまでの成果を裏付けているのだが、さて、そろそろ旬を書き始めようか……。

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