これまで穴太廃寺の再建時期は、通説に反して、天武朝だと考えていた。いくつか理由はあるが、穴太瓦窯が再建伽藍に伴う窯と報告されており、これより新しい建物が、創建伽藍と同じ方位をしてていることから、再建時期を天智より新しい天武朝と理解してきたのである。
しかし、報告書が刊行され、方形瓦は天智以前に位置づけられ、穴太瓦窯は方形瓦を焼くソ運伽藍時のもの。つまり天智直前期にあたるとされた。
すると、瓦窯より新しい遺構に創建伽藍と同じ方位があっても、再建時期を天智朝としても問題はなくなる。やはり、穴太地区の正方位化もやはり天智か?
というように、20年前とは、研究が進み、見解が変わってくるのである。