さて、とある原稿で、改新の詔が軽皇子宮で出されたことはわかったが、難波宮の造営期間が、さらに長く、6年以上かかっていると思うようになった。
これによって、乙巳の変後半年で、造営が始まっていることになる。このことは、大化改新の信憑性を補強する材料にもなる。