先ほどまで、キトラ天文図についての、天文学者の研究を含めた最新の成果が、BSでしていた。
天文学者の検討では観測年代の意見が別れていた。紀元前80年頃と紀元384年頃。これは、すべての28宿星座をみると、一致するものがないが、25のきょせいを検討して誤差が小さくなるものと、さらに信憑性の高いきょせいを選らんだものの違いである。どちらが正しいのかはわからない。
観測緯度は37~38度。内規と赤道の比率から求めたものである。この緯度に近い東アジアの都市は太原で、紀元前から栄え、400年頃は北魏の都でもあった。ただし、老人星が見える場所とすると、もう少し南の24度あたりとする。すると、長安や酪陽が候補にあがる。昔は、39度付近の平壌といわれていたが、これは発掘前の画像から算出した数値である。
結論としては、中国で紀元前に観測されたものを、400年頃に朝鮮半島で修正、700年頃に日本にもたらされたとするもの。そして、飛鳥時代が天文学を本格的に導入した時代であるというもの。
この結論だけをみると、これまでの理解とあまり変わりがない。新しい成果は、天文学者が参加して、本格的に検討したことと、緯度が低かったということか。平壌よりは緯度が低いという理解は修正しなければいけないが、これ迄の私の理解は、あまり違っていない。しかし、この年代観は信用できるのだろうか?
天文学者の検討では観測年代の意見が別れていた。紀元前80年頃と紀元384年頃。これは、すべての28宿星座をみると、一致するものがないが、25のきょせいを検討して誤差が小さくなるものと、さらに信憑性の高いきょせいを選らんだものの違いである。どちらが正しいのかはわからない。
観測緯度は37~38度。内規と赤道の比率から求めたものである。この緯度に近い東アジアの都市は太原で、紀元前から栄え、400年頃は北魏の都でもあった。ただし、老人星が見える場所とすると、もう少し南の24度あたりとする。すると、長安や酪陽が候補にあがる。昔は、39度付近の平壌といわれていたが、これは発掘前の画像から算出した数値である。
結論としては、中国で紀元前に観測されたものを、400年頃に朝鮮半島で修正、700年頃に日本にもたらされたとするもの。そして、飛鳥時代が天文学を本格的に導入した時代であるというもの。
この結論だけをみると、これまでの理解とあまり変わりがない。新しい成果は、天文学者が参加して、本格的に検討したことと、緯度が低かったということか。平壌よりは緯度が低いという理解は修正しなければいけないが、これ迄の私の理解は、あまり違っていない。しかし、この年代観は信用できるのだろうか?