以前から気になっていた論文を読んだ。
鈴木景二「飛鳥寺西の槻の位置について」(『古代中世史の探究』法蔵館)である。
槻樹の場所は首塚であるというもの。ここ数年来、飛鳥寺西を調査しており、さらにそれ以前の調査箇所も含めると、かなりの場所を調査しているが、それらしき痕跡はみられない。残る可能性は2カ所なのだが、その最有力候補地は首塚のところと思っている。五輪塔自体は、南北朝のもので新しいが、なぜあそこに五輪塔が建てられたのか?なぜ入鹿の伝承が付いているのか?その答えは、槻樹の跡地だからとしか考えられない。しかし、これを理論立てて説明できるかというのが、気になっていた。そこで読んだのがこの論文。
結論は同じなのだが、この場所が神聖な場所で、それは古代の市の神聖性に共通するとする。そして、古代の市には、シンボル的な樹木があり、後の時代にはそれが石塔へと変化をしている。まさに、槻樹と五輪塔に合致するというロジックの組み立て。
内容的には、なかなかおもしろく、そうだろうなぁと思う。ただし、もう少し、決定的な証拠がほしい。状況証拠とストーリーはOKだとおもうが、考古学的に証明できないだろうか?
しかし、五輪塔の下を掘るとバチがあたりそうなので、なかなか難しいが。
このように考えると、槻樹の大木がここにあり、他にはなかったということになる。飛鳥寺の西には槻樹の大木があるだけて、槻樹の林ではなかったということは、発掘の成果からも裏付けられつつある。
