年始恒例の橿考研の研究集会に行った。今年のお題は二つ。ひとつは弥生水田のイネ収穫の研究の話。もうひとつは、西本昌弘氏の「大藤原京説批判」。私の興味では、後者がどのような話なのかが知りたかった。基本的には、文献の資料批判から、藤原京は十二条八坊であるという点である。しかし、現実には、岸説藤原京の外側からも条坊道路や宅地遺構がみつかっており、特に集中して確認されている四条遺跡を外京とする。
しかし、岸説の外側で、四条遺跡で多く見つかっているのは、単に調査が集中しているだけで、これまでの調査による限り、大藤原京全域に広がるのは間違いない。しかも、その廃絶は平城遷都時であることから、大から小は考えられない。少なくとも、廃絶時には、遺跡からみるかぎり、岸説と違いはない。問題は、もともと大藤原京だったか、規模が拡大したかである。特に、拡大説には興味を覚えるが、これが拡大か、造営の段階差かの検討が必要と思われる。このあたりは、造営過程の整理とともに、検討をしようと思う。
さて、今回の研究集会で久しぶりに某先生にお会いてした。ご著書までいただきありがとうございます。はやめにジャーナルを書かなければいけないなぁ。