甘樫丘東麓遺跡で新たに建物が見つかったという発表があった。
先日、現場を見学させていただいたが、これまでの調査地の隣にある谷。
これまでよりもはるかに小さな谷である。ここで、切土盛土をして、建物2棟を建てているのである。その時代は7世紀中頃だという。
これだけみれば、あまりパッとしない成果なのだが、今回の調査は、甘樫丘全域を考える指標になる。つまり、これまでの谷だけでなく、隣接する谷も同じ動向をしている。つまり甘樫丘全体が、同じ歴史を共有しているのである。まさに甘樫丘は蘇我氏の勢力下にあったことを物語っていると言えるのである。蘇我の邸宅はまだ見つかっていないが、この調査も極めて重要な成果をもたらしたのである。
 
と、いうことで、番外編を1本納品いたしました(事務連絡)。