本日は、関西大学の史学文学講座であった。昨年に引き続きの登板である。
タイトルは「推古朝の王宮」。小墾田宮のはなしである。内容は、ここ1年来、あちこちで吹聴している内容なので、問題はない。やはり、少し時間が足りなかったので、途中ではしょったのだが
 
最近はこの地域がおもしろい。この地域が頭の中で、少しずつ整理されてきた。例えば、小墾田兵庫や留守司、これが整理されたことにより、「飛鳥」と「小墾田」の境界がわかり、小墾田宮も推定できた。そしてさらに……。このように、飛鳥寺の西から北にかけての歴史的変遷が整理できつつあるのである。
このあたりのことを、今度の東京で話しようかと、思うのであった。