今度は青木敬氏の「掘込地業と版築からみた古代土木技術の展開」(『文化財論叢4』)を読んだ。
 
前半は掘込地業+基壇高=地業総高で、塔は時代と共に高さが減少する時期差と捉え、門は上部構造や格式に関係するとした。
後半は、版築の分類で、大きくA~C工法を設定し、A工法は新羅系、Bは百済系、Cは中国北朝系に系譜を求めた。7世紀代ではBの百済系が多く、類例が少ないが、C工法の吉備池廃寺に大きなポイントを置いている。
 
掘込地業や基壇の築成技術から、その技術的な系譜を東アジアに広げてたどっていくことは、非常におもしろい。百済や新羅・中国との交流の一端を解明できる視点として重要である。
あとは、今回の見通しが、類例の蓄積によって、どこまで普遍化出来るか? 都と地方によってその違いがあるのか? さらには地方によって、ここは百済系、ここは新羅系が多いなどが抽出できるのか? などなど、今後の展開が楽しみである。
しかし、今回の論考の中でも吉備池廃寺は重視されることになったが、やはり7世紀史の中でも舒明朝はかなり重要な時代かもしれない。