先日、某社の記者と話をしていると、聖徳太子はどこに住んでいたのか?という会話になった。当然、答えは斑鳩宮となるのだが、問題はその前である。飛鳥に聖徳太子の宮はあるのか?という話である。
 実は、ここ数年来、蘇我氏の邸宅や推古の小墾田宮など検討していたが、一番のスーパースターである聖徳太子について真面目に考えたことがなかった。聖徳太子は最近ではこう呼ばないようであるが、厩戸皇子は幼少のころ上宮に住んでいた。ここは私説磐余池との関係からも、桜井市の上之宮遺跡で良いと思う。一方、605年には斑鳩宮に遷る。この間、飛鳥に住んでいたのであろうか。史料上、これを伺わせるものはあまりない。また、この頃の遺跡もない。聖徳太子は飛鳥に住んでいなかったのではないか。上之宮遺跡の全盛期が6世紀後半~7世紀初頭であることから、ずっと上之宮遺跡に住んでおり、そこから斑鳩宮に遷ったのもしれない。ひとつだけ飛鳥で住んでいたかもしれない可能性がある場所は、橘寺下層であるが、まだまだ課題が多い。
なかなかおもしろいテーマ゛と思うのだが……。