最近は、飛鳥を離れて、「磐余」を調べている。某連載のためである。
「磐余」とはどこだろう。見つかった古代の池跡を磐余池だとすると、いろいろと気になる点が多い。
このあたりは「百済」だと思うので、「磐余」でない。
そして、聖徳太子の宮の位置関係も問題である。和田説にも課題は多い。
そんな中、千田稔氏は「磐余」をもっと東方に推定している。こちらの説の方が、課題は少ない。賛成である。
私説では、横大路の南は、上ツ道を挟んで、西が「百済」、東が「磐余」だと思っているのだが……。
もうすこし、現地で調べる必要があるようだ。