「飛鳥大嘗宮論-初期大嘗宮と酒船石遺跡-」
『続文化財学論集』 (2003年)
文化財学論集刊行会
大嘗祭は天皇一世一代の祭祀で、毎年は新嘗祭が行われていた。大宝律令以降、この形が確立されたと考えられるが、その創設は天武朝と考えられる。この頃は毎年の新嘗祭が大嘗祭のような大規模な祭祀で、五穀豊穣だけでなく、天皇権力の強化の意味合いもあった。この時期を初期大嘗祭と呼び、その宮を初期大嘗宮と呼ぶ。
大嘗宮の設置場所は、朝堂院内で、その都度、仮説の宮を造営していたが、天武朝には朝堂院はなく、恒常的な施設が設置されていたと考えられる。つまり、恒常的な巨大な祭祀施設が必要なのである。そこで注目されるのが、酒船石遺跡で、本稿では、その可能性を模索した。