磐余池の続報がニュースで流れている。なぜこの時期なんだろうと考えていると、さては「大和を掘る」か?しかし、それよりもつい先日『季刊明日香風』が送られてきた。この号は「磐余」特集である。この中に、発掘成果についても担当者が詳細に記している。これに合わせた発表だったのだろうか。
それにしても、本当に「磐余池」なんだろうか?『明日香風』でも、担当者は、古代の池跡ではあるが、「磐余池」とは断定していない。おそらく意見が一致していないのだろう。
仮にここが磐余池だとすると、「磐余」と「百済」の地名の関係が難しくなる。「磐余」が大地名で、「百済」が小地名の可能性も検討しなければいけないが、どうもすっきりしない。さらに用明の宮の南に聖徳太子の「上宮」があるとされているが、「上宮」の場所も香具山山中になってしまう……。
ここで「磐余」の根拠のひとつは履中天皇の「磐余稚桜宮」。現在、今回の発掘調査地のちかくに稚桜神社がある。しかし、稚桜神社は桜井市谷にもある。こちらだとすると、上宮遺跡との関係もしっくりくる。ただし、池跡はみつかっていない。
いずれにしても、このネタは、舒明の連載の中で、もう少し考えよう……。