家に帰ると、本が届いていた。『条里制・古代都市研究 第27号』である。小笠原好彦氏の「平城京遷都と泉津」や三宮昌弘氏の「大和川・今池遺跡における難波大道」などが掲載されている。この中に、私の研究ノートも掲載していただいた。同会の現地見学会で案内した内容をまとめた「律令期陵墓の兆域と空間構成」である。結局、兆域は四角ではなく、空間的な領域の東西・南北の最大値と一致するということである。これは私がはじめて指摘したことではなく、来村多加史氏の論を再確認し、あわせて古道や邸宅との関係にも触れたものである。地図だけではなかなか判らないことであるが、地図を片手に、現地に繰り出すことも大切な視点である。