「「藤原京の成立」遺構解釈の一例」なる論考抜刷を、某部長さんからいただいた。ありがとうございます。
これまでも藤原京の造営過程については検討されてきたが、近年の発掘データを元に再構築している。基本的には賛同するのだが、二点だけ気になることがある。一次先行条坊と二次先行条坊については天武5年と天武11年の造営にかかわるもので良いと思うが、天武5年の造営範囲がどこまでなのかはわからない。つまり、宮内だけでなく、京内にも広がる可能性はないのかという点である。これに関わって、この論文では天武9年の薬師寺発願を不信とするが、この薬師寺下層条坊を、一次条坊の可能性も検討すべきであろう。このあたりの解明は、京域の拡大にも影響を与える。つまり、岸説藤原京から大藤原京への拡大の可能性である。まだまだ検討の余地がある。久しぶりにまじめに考えるか。