甘樫丘の現地説明会に行ってきた。雨が降る前にと思い、開始直前に行ったのだが、パラパラと雨が降り出してきた。調査中にも一度見学させていただいたが、一体何なんだろうか?石敷があり、焼土や硬化面があり、炭も大量に出土している。何らかの生産施設であるようだが、未製品や材料・クズがまったくないので、何を作っていたのかはわからない。ただし、これらの施設を一気に埋めており、その時代は7世紀中頃。つまりこの施設は7世紀前半から中頃にかけての遺構であることは間違いない。そんな遺構があるかと思うと、以前の調査では塀に囲まれた建物群(倉庫か?)がある。どうも、この谷は生産・収納施設を中心とした地域なのかもしれない。前から指摘をしてはいるが、ここは蘇我氏の邸宅中心部ではない。蘇我氏と無関係ではないだろうが、甘樫丘というもっと大きなエリアで考えるべきだろう。しかし、この遺構は製品を特定出来ないだけに難解だ。
 そんなことを思いながら、説明を聞き、現場を見ていたら、トレンチの向こうで、一生懸命写真を撮っている人が……。きっと、原稿を待っているのだろうなぁ、と思いながら。とりあえず、締め切りまでには書きますが、今回はなかなか難解だ。
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