近年、纒向遺跡が大きな話題である。東西に並んだ整然とした建物群。卑弥呼の王宮か、祭祀の施設かと話題であった。その周辺は今も調査が続けられているが、やはり、もっとも知りたいのはJR線路の下である。
そんな建物を復元したのは、神社建築を専門とする黒田龍二氏である。その黒田氏の著書を読んだ。纒向の建物群は伊勢神宮や出雲大社にも通じるものとする。纒向の大型建物は殿内祭祀の場で、その西の建物は祭器の保管場とする。王宮の中心建物は、さらに東にあるとする。このような建物建築や配置と祭祀の形態は、伊勢神宮や出雲大社の建築や祭祀形態と共通するとする。
極めて興味深い見解で、これまで飛鳥以降の王宮を考えてきた者からすると、政治の空間としての王宮と、祭祀の空間としての祭殿は別のものと考えてきた。しかし、古来政治とは「政」と「祭」であり、一体となっていたものである。その意味では王宮の中における「政」「祭」は一体となっていたと考えるのが、自然であろう。その後、両者が分離していき、「祭」の中心は伊勢へと移っていったのであろう。飛鳥以前の王宮構造を考える、重要な資料である。
黒田龍二 『纒向から伊勢・出雲へ』 学生社 2012.2刊行
・第一章 纒向遺跡の復元
・第二章 纒向から伊勢・出雲へ
・第三章 出雲大社の本殿と祭祀
・第四章 出雲大社境内遺跡と出雲大社本殿の復元
・第五章 神宮の祭儀と建築
・第六章 纒向遺跡にみる神宮と出雲大社の源流
