白石太一郎編『天皇陵古墳を考える』を読んだ。連続講座の内容を書き下ろしたものである。古墳屋さんではないのだが、仕事柄、飛鳥時代(6世紀を含む)の古墳には興味がある。特に、高椅照彦氏の欽明陵の話は、いくつかのところに書いてあるのだが、欽明陵=(見瀬)丸山古墳。
 その論点は大きくふたつである。檜隈地域の範囲と檜隈陵の記載。つまり「軽」の地はもともと「檜隈」と呼ばれていた範囲のなかにあったとし、その根拠のひとつに檜隈坂合と軽境の表記とする。しかし、檜隈は大地名ではあるが、軽も大地名で、両者は対等な関係で、檜隈に軽が含まれるとは考えがたいのだが……。また、檜隈坂合陵=檜隈大陵=丸山古墳、檜隈陵=梅山古墳とするが、丸山を欽明陵とするから、このように考えなければいけないのであって、素直に檜隈坂合陵=檜隈大陵=檜隈陵=梅山古墳と考えた方がよいと思うのだが……。
 
白石太一郎編 『天皇陵古墳を考える』 学生社 2012.1刊行
 ・箸墓古墳と大市墓(白石太一郎)
 ・西殿塚古墳が提起する問題(今尾文昭)
 ・誉田御廟山古墳(現応神陵)の被葬者(白石太一郎)
 ・継体天皇陵と今城塚古墳(森田克行)
 ・欽明陵と敏達陵を考える(高椅照彦)
 ・天武・持統陵(野口王墓古墳)の意義(今尾文昭)
 
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