某所でも紹介されていた、西本昌弘「高市大寺の所在地と藤原京朱雀大路」『古代文化63-1』を読んだ。内容は某所にも記されているが、高市大寺の所在地に関するこれまでの諸説の再検討と朱雀大路との関係である。所在論については文献資料の検討であるが、この論文でもっとも興味を引かれたのは、田中廃寺周辺にあるにある二つの土壇「天皇の森(天王藪)」「弁天の森」である。前者はこれまで古墳とされていたが、これらが基壇の可能性もあるという。たしかに両者の距離は心々で100mちかい距離があるが、吉備池廃寺の金堂と塔も同様の距離がある。普通の寺院であれば、ありえない距離だが、吉備池廃寺の確認された今、高市大寺であれば考えられなくもない。仮に古墳だとすれば、藤原京内において墳丘が残存する理由を探さなければならない。吉備池廃寺や大官大寺の基壇が残されていたように、高市大寺の基壇が完全に削平されたと考えるのはむずかしい。その意味では、このふたつの土壇を再検討する価値は十二分にある。おもしろい。