本日は某会で2時間30分。このネタでこの時間は長いっ。
 お題は「飛鳥古京から明日香へ」。といっても古道のお話。一年前に飛鳥時代の道路については話をしたので、今回は飛鳥時代以降の道路。しかし、これはなかなかの難題である。飛鳥時代の道路網については、発掘成果から少しはわかりつつある。一方、近世の道は、管笠日記などの日記や道標から推測ができ、現在の道とあまり変わらない。
 しかし、これらの古道が、いつ成立し、どのような変遷をしてきたのかは、わからない。また、現在の道と完全に一致するのか、少しはルートが異なるのかなど不明な点は多くある。
 今回の話は、これらを考えるために、7世紀以降、現在に至るまでの景観を発掘成果や古記録から復元し、これを踏まえた道路網の復元をおこなった。例えば、飛鳥時代の飛鳥寺の大垣に並行して、道路が推定・確認できるが、寺域が縮小すると、大垣に並行する道路も廃絶すると考えられる。このように、各施設の規模の変化は、道路の復元に重要な視点となる。いずれも状況証拠ではあるが、注目できる視点ではないだろうか。
 そもそもこのテーマを考えたのは、、古道について調べるためではなかった。7世紀には様々な施設が建ち並んでいたこの飛鳥が、現在は水田や里山、集落の点在する景観になっている。この変化がどのような契機によって、どのような変遷をしたのかを調べることが本題であった。その結果、西暦1200年前後に大きな画期があり、ここを境に古代的な景観が無くなり、中世的な景観となる。そして、現在の集落景観や水田景観の原型は、室町時代頃に求められることもわかってきたのである。
 現在、文化財を包み込む景観を「歴史的風土」とよんでいるが、「歴史的風土」とは飛鳥時代以降の「1300年間の景観」だと思っている。