久しぶりの研究会参加である。お題はふたつ。「日本古代の墓誌」と「前期難波宮の小石敷きをめぐって」。
 前者では中国と日本の墓誌の比較に始まり、石製墓誌が採用されなかった理由を、日本では墓誌を石工ではなく、金工が担っていたとする。石工と金工の知識・技術の違いが、我が国での受け持ちの違いに繋がったかは疑問だが、これまでにない墓誌研究の視点であることは間違いない。
 後者では、前期難波宮の小石敷きの検出例を検討し、その高さ関係から、建物の上部構造復元の資料にしている。特に、内裏前殿から内裏南門のあたりの標高が高いことは、施設の重要性とも関わって、新たなデータ提示であった。また、前期小石敷きの遺存度が高いのは、後期基壇内になる所で、後期遺構の建築にあたって、前期施設がどの程度保存されていたのかを考えるデータにもなる。このような地道な検討だが、大きな問題を解決する糸口になるのは間違いない。実におもしろい。