橿原考古学研究所附属博物館に、恒例の「大和を掘る」を見たついでに、『飛鳥京跡Ⅳ』報告書を入手した。飛鳥宮北辺地域の正報告である。これまての調査がまとめられているので、宮の北辺を考える基礎データとなる。残念ながら、北辺を画すると思われる大型石組溝は見つかっているが、北面大垣は未確認である。報告書総括部分で若干の検討が行われており、石組大溝の推定ラインの南約5m程にある、第20次調査区の東西塀を北面大垣の可能性のひとつにあげている。その根拠のひとつには、東面大垣の外側(東側)約5mで石組溝があることをあげている。しかし、北辺の石組大溝に対応するのは、東面ではこの石組溝ではなく、東面大垣から約20m離れた、天理教敷地内で検出した石組大溝である。その意味では、北面も石組大溝より、少なくとも20m以上南に、北面大垣を推定すべきと個人的には考えている。

もうひとつこの報告書では興味深い考察がある。飛鳥地域の現地表の高さを色分けし、その宮の造成や立地についての検討を試みている。まだ基礎的なデータの提示にとどまるが、さらに発掘遺構の標高や水路網の流下方向などを加えるとおもしろいと思う。さらに、現地割りに残されている遺跡の痕跡など、いずれ細かな検討を試みたいと思う。その意味でも今回提示されたこの考察データは興味深いものがある。
