林部均氏の最近の論考「藤原京の条坊施工年代再論」(『国立歴史民俗博物館研究報告 第160集』)を読んだ。さすがに土器の年代観と遺構との関係から、藤原京の造営について詳細に検討をされている。条坊施工の年代は、もっとも古いものは天武5年まで遡り、もっとも新しいものは藤原宮期になってからだとする。これを施工の時期差ではなく、大宝律令制定にあたっての藤原京の改作・再整備とする。これを遺跡の状況から検証したことは興味深い。
 ただ、これが改作や再整備と理解できるのか、あるいは京域の拡大とは理解できないだろうか。岸説藤原京から大藤原京へ……。以前にそんなことを考えたことがある。もう一度最新の資料を踏まえて考えてみようか。