「嶋宮をめぐる諸問題」……。これがいま執筆中のタイトルである。しかし、嶋宮の実態についてはよくわからない。島庄遺跡が嶋宮であることは周知の事実としてよい。しかし、嶋宮の方形池は庭園の池?もう他に池はないの?嶋宮の中心は?飛鳥川沿になぜ遺構がない?東橘遺跡をどう解釈する?などなど。
 文献史料を整理し、発掘成果を整理し、いろいろと考えていると、わかったこと、わからないことが明確になってくる。特段、目新しいことは少ないが、このような地道なことも必要だろう。時間がないのでがんばろう。