藤原宮ではじめて本格的な大極殿が完成した。もっとも、その前段階には、飛鳥宮のエビノコ大殿が「大極殿」と呼ばれた独立した公的建物であったり、前期難波宮で、後の大極殿機能の一部担った正殿が成立していたことはあるが、純粋な意味での「大極殿」は藤原宮が最初である。
 ここに建てられた建物は、宮殿建築としては、はじめて基壇上に建てられた礎石・瓦葺き建築である。近年の研究では、この藤原大極殿が平城宮第一次大極殿として移築された。現在復元されている建物である。さらにこの建物は、奈良時代に恭仁宮大極殿として移築された。今も巨大な基壇や礎石が残されている。最終的に恭仁宮の地は山城国分寺として利用され、大極殿は金堂になったのである。
 
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藤原宮大極殿
 
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平城宮第一次大極殿
 
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恭仁宮大極殿