水落遺跡の発掘成果が新聞に載っていた。ちょうど石神遺跡と水落遺跡の間である。北も南も調査されているので、両調査区を繋ぐ調査ということになる。しかし、言い換えれば、両調査区から伸びる遺構の隙間を再確認する調査でもある。今回は石敷や木樋暗渠・銅管などが確認された。
記事を読んでいると、事実誤認やひとつの解釈を通説のように記事にしている新聞もややみられた。より正確な報道が必要だろう。某ブログにも書かれていたが、噴水石造物の本来の設置場所は確定していないが、一部の新聞では確定したような表現になっていた。
では、この噴水石造物はどこに設置されていたのであろうか。これらの石造物が発見されたのは小字石神の水田で、今回の調査地の東方である。しかし、ここは石造物が最後に放置(投棄)された場所で、設置場所とはかぎらない。なによりも、噴水であるので、加圧水の配管装置が必要であるが、石神遺跡A期東区には、導水・配管施設がみられない。この点から考えると、石造物が東区に設置されていた可能性は低い。
これに対して、西区では、今回の調査でも確認されている銅管や木樋が、水落遺跡から西区の中心に伸びているので、噴水石造物が設置されていた可能性がある。なによりも西区は東区よりも大規模な施設なので、石神遺跡A期の中心は西区画であることは間違いない。
しかし、まだ課題も残されている。石造物の正確な設置位置は特定されていないこと。そして何よりも、加圧水をどのように石造物に注入するかは大きな課題である。加圧水を作り出すには、高低差を利用するしかないが、
これまでに想定されている案のひとつに、水落遺跡の楼閣建物2階に水槽をおいて、その高低差を利用したとするものがある。これも一つの案ではあるが、どのように2階に水を運び上げるのかや史料にみられる「須弥山」が、漏刻建設前にも記されているなど、課題も多い。
いずれにしても、石神遺跡西区画の全貌解明が、噴水石造物の位置や構造特定の大きな鍵をにぎっているのは間違いない。