
鶴岡八幡宮

切り通し

鎌倉大仏

鎌倉駅
夏の旅第二弾は鎌倉に行った。ご存じ、鎌倉幕府の置かれた武家政権の中心地である。初めて鎌倉に足を踏み入れたが、「観光地」という感じで、年間1800万人もの観光客が来るらしい。
さて、鎌倉の都市計画の中心は、現在も残る若宮大路と鶴岡八幡宮である。これは、朱雀大路と大内裏の関係と似ている。しかし、政治の中枢である幕府跡は、八幡宮の東にある。現在は学校があり、当時の面影はないが、これは古代と違う点で、都市の中心を鶴岡八幡宮という、宗教施設においているのである。おそらく中世という時代は、古代から脱却をした時代ではあるが、鎌倉時代はまだ、その基本系が踏襲されており、新たなセンターとして神宮を置くとう別の思想が芽生え始めているのであろう。その他の邸宅や町並みは、すでに住宅開発が進んでおり、なかなか大規模な発掘も難しいので、町中の様子は、いまひとつわからない。
しかし、この都市のもうひとつの特徴は、東西北の三方を山に囲まれ、南は海に面しているという地勢である。山には切り通しがいくつかあり、ここを通らないと、都の中には入れない。そして、その都の入口付近に寺を造っている。ようするに、防御制の強い都といえる。ここまでのことは平城京などでもみられるが、時代の歴史的背景として、律令政権と武家政権の違いが強く反映されていることがよくわかる。このような、飛鳥・藤原からさらに、以前に行った平泉、そして鎌倉と、都市の歴史は変遷していくのだが、古代だけ、中世だけでなく、より大きな都市史の中で位置づける必要があろう。