しかし、石神遺跡の報告をまとめるのはたいへんであろう。なんと言っても謎が多い。今日は、この謎の話までは、時間の都合で話されなかったが、私が思う謎、解決すべき課題点を、思いつくまま列挙しておこう。
・小墾田宮と石神遺跡の関係→石神は小墾田地域の隣接地?
・7世紀前半の山田道→石神北限塀のすぐ北にある?
・A1期の瓦葺建物の性格と範囲→迎賓館前身施設の可能性?
・A2期における水落遺跡下層の、石神類似配置の建物群の構造→この時期の迎賓館は、飛鳥寺の真西?
・文献資料との対応→斉明3・5年の須弥山の位置は飛鳥寺の真西(水落地区)?
・須弥山石の設置位置→斉明6年は須弥山の位置は石神西区?
・噴水石造物の水の給水構造→水落遺跡2階からの給水の可能性?
・B期天武朝の遺構の性格→小墾田の兵庫?
・7世紀前半といわれる新羅土器と迎賓館の関係→斉明朝迎賓館の根拠?
・7世紀後半以降といわれる黒色土器と迎賓館の関係→斉明朝の迎賓館の根拠?
・石神遺跡東方地域の解明→飛鳥寺北門のラインまで?
・水落遺跡地区の解明→水落遺跡の南限が鍵になる? などなど……
数え上げればきりがない謎が残されている。報告書作成に向けての検討において、ひとつでも多くの謎を解決してほしいものである。また、この機会に、飛鳥資料館で特別展「飛鳥の迎賓館-石神遺跡の実像-」なる展覧会をしてもらいたいものである。
ところで、今回の講演会で主催の某会は3周年を迎えたそうで、すてきなカレンダーを制作していた。なぜか私もおこぼれにあずかり、頂いてしまった。ありがとうございます。亀石や飛鳥の風景など、なかなか素敵なカレンダーである。これからも、内容の濃い、楽しい活動をしてください。また、別の形で、御礼をしなければ……。