今日は皆既日食だった。といっても、こちらは雲が多く、結局見ることはできなかったのだが……。
 皆既日食とは、太陽・月・地球が大宇宙の中で、一直線に並ぶものである。さらに、月の400倍の大きさが太陽の大きさで、地球と月の距離の400倍が月と太陽の距離にあたる。この大きさと距離の関係が、皆既日食(太陽と月がほとんと同じ大きさ)に関係しているのである。
 日食といえば『日本書紀』にも記されており、飛鳥時代には25回記録されている。このような天文の異変を観測すると、後の中務省の下部機関である陰陽寮の天文生や天文博士が陰陽師に報告する。陰陽師はこの占文を内裏に密封奏聞するのだが、その内容は秘密で史料にも残されていない。
 ただいくつかの記事については、その前後の史料を読むと興味深い記事にあたる。例えば。推古28年12月のオーロラの記事の後には聖徳太子が亡くなっており、推古36年3月の日食の後には推古天皇崩御、持統10年7月の日食の後には高市皇子が亡くなり、大宝2年12月の金星出現の後には持統天皇崩御、慶雲4年6月の日食の後には文武天皇崩御が記されており、内裏に密封奏聞された占文を連想させる。最もこれらは偶然かもしれないが、非常に興味深い。いずれにしても飛鳥時代は天文学の分野でも重要な時代といえよう。、