今日の新聞に、平城京西大寺旧境内地から8世紀後半のイスラム陶器が出土したと載っていた。海のシロクロードの終着駅が奈良であることが証明され、それは奈良時代後半にさかのぼることの物証になるという。
発掘調査でこのような遺物が出土すると、当時、物の移動があり、それを携える人の移動があり、そしてそこに情報も動く。国際交流とは物・人・情報の交流だ。これまでイスラム陶器が日本で出土していたのは鴻臚館と太宰府だけで9世紀後半から10世紀のものだった。鴻臚館でイスラム陶器が見つかったのは、もう20年も前のことだ。その時も話題になり、北部九州が東アジアの玄関口だという認識をしていた。今回は、それよりも100年ちかくさかのぼるものだ。
国際交流の遺物といえば、新羅土器がある。7から8世紀の製品だが、その我が国での出土分布は北部九州と平城京、そして飛鳥地域である。つまり玄関口と、当時の都である。飛鳥では特に石神遺跡での出土が目立つが、これは迎賓館としての性格が大きい。この新羅土器によって、日本と韓国の交流がわかるのである。さらに飛鳥池工房ではガラス器を模倣した土器が出土している。飛鳥時代にも、中国のさらに西方との交流を伺わせる遺物である。これからの発掘で、まだ何が出土するかわからない。飛鳥時代の国際交流もおもしろいテーマである。
発掘調査でこのような遺物が出土すると、当時、物の移動があり、それを携える人の移動があり、そしてそこに情報も動く。国際交流とは物・人・情報の交流だ。これまでイスラム陶器が日本で出土していたのは鴻臚館と太宰府だけで9世紀後半から10世紀のものだった。鴻臚館でイスラム陶器が見つかったのは、もう20年も前のことだ。その時も話題になり、北部九州が東アジアの玄関口だという認識をしていた。今回は、それよりも100年ちかくさかのぼるものだ。
国際交流の遺物といえば、新羅土器がある。7から8世紀の製品だが、その我が国での出土分布は北部九州と平城京、そして飛鳥地域である。つまり玄関口と、当時の都である。飛鳥では特に石神遺跡での出土が目立つが、これは迎賓館としての性格が大きい。この新羅土器によって、日本と韓国の交流がわかるのである。さらに飛鳥池工房ではガラス器を模倣した土器が出土している。飛鳥時代にも、中国のさらに西方との交流を伺わせる遺物である。これからの発掘で、まだ何が出土するかわからない。飛鳥時代の国際交流もおもしろいテーマである。