研究会に参加した。本日の発表は日文研のTさんと、大阪市のSさんでした。Tさんとは久しぶりにお会いしました。内容は中国の都城の語義(概念)の話が中心だ、基本的に三重構造で、「宮」「城」「郭
(郊)」となるという。このうち「宮」「城」が所謂「都城」で、「郭(郊)」は京の内だが、都城の外だという。このような概念は漢代から南北朝までの概念で、「城」には官衙や一部の居住地がふくまれる。そして、「郭」は都城周辺の集住地という。これが、唐代になると「宮城」とこれを含む「皇城」が南北に並び、その周囲に「郭」ができ、これら全体が「都城」という概念に変化したという。そして、さの中間にあたる隋代には両者の概念が変化する過度期であり、概念が固定していない段階だという。
このような概念変化が中国ではあり、このように考えると、藤原京の場合、「宮」「城」は「藤原宮」のことで、「郭」が「藤原京」だという。そして、周礼に示されるのは、「藤原京」ではなく、「藤原宮」を指しているという。
このようなことはこれまで考えたことがなかったので、非常に興味深い考え方だと思った。ただし、Tさんとも話をしていたが、幾つかの検証段階があると思う。まず、中国における「宮・城・郭」の概念が、藤原京造営当時に日本に導入されたのか。そして、それを藤原京造営に反映させたのかである。たしかに藤原京は周礼にのっとった都造りをしているので、中国の都城思想を直接的に反映している可能性は高いとおもう。このようなことも一度考えてみたいと思う。さらに飛鳥にはこのような「宮・城・郭」の概念が反映されているのか、興味深い。
研究会に行くと、これまで自分に無かった考え方に出会うので刺激になる。そして、新しい研究課題になる。最近は刺激を受けるテーマは多いが、なかなか研究は進んでいない。がんばらねば。
(郊)」となるという。このうち「宮」「城」が所謂「都城」で、「郭(郊)」は京の内だが、都城の外だという。このような概念は漢代から南北朝までの概念で、「城」には官衙や一部の居住地がふくまれる。そして、「郭」は都城周辺の集住地という。これが、唐代になると「宮城」とこれを含む「皇城」が南北に並び、その周囲に「郭」ができ、これら全体が「都城」という概念に変化したという。そして、さの中間にあたる隋代には両者の概念が変化する過度期であり、概念が固定していない段階だという。
このような概念変化が中国ではあり、このように考えると、藤原京の場合、「宮」「城」は「藤原宮」のことで、「郭」が「藤原京」だという。そして、周礼に示されるのは、「藤原京」ではなく、「藤原宮」を指しているという。
このようなことはこれまで考えたことがなかったので、非常に興味深い考え方だと思った。ただし、Tさんとも話をしていたが、幾つかの検証段階があると思う。まず、中国における「宮・城・郭」の概念が、藤原京造営当時に日本に導入されたのか。そして、それを藤原京造営に反映させたのかである。たしかに藤原京は周礼にのっとった都造りをしているので、中国の都城思想を直接的に反映している可能性は高いとおもう。このようなことも一度考えてみたいと思う。さらに飛鳥にはこのような「宮・城・郭」の概念が反映されているのか、興味深い。
研究会に行くと、これまで自分に無かった考え方に出会うので刺激になる。そして、新しい研究課題になる。最近は刺激を受けるテーマは多いが、なかなか研究は進んでいない。がんばらねば。