2日目の午後は、慶州文化財研究所が実施している半月城の北東濠の発掘現場とその整備地を見学した。整備地は2年前に発掘調査をしていた場所で、綺麗に整備されている。この濠は、防御施設だけでなく、見た目も意識した構造で、3時期ほどの変遷があるという、基本的には、徐々に狭くなり、割石護岸から切石護岸へと変化している。現在復元している切石護岸の石積みの一部は、発掘当時のものを露出展示し、さらにその上に石積を積み足している。その横では、現在も発掘が進んでおり、石積みの護岸の延長部が確認されていた。その生の迫力は、やはり整備では表現できない。その後、半月城の上に登ると、ここは意外に広い。これまで写真や地図だけで見ていると、この宮殿は狭い範囲しか建物が建てられないなあと思っていたが、意外だった。これまで、この上では発掘調査は実施されていないが、レーダー探査では、建物跡が見つかっているという。本格的な調査をすると、きっとすごいのだろう。そして朝鮮時代の石氷庫を見て半月城を下って至った。半月城の北西には官衙群?が見つかっている。現在は整備が進み芝生と土壇、礎石の位置表示がなされている。その北には東洋現存最古の占星台の建物がある。切石を積み上げた独特の形をしているが、ほんとうに天文観測をしていたのであろうか?
その後、大陵苑へ。こには大小多くの古墳が整備されている。腰高に復元された古墳は、本来の推定される規模とは、やはり大きく作られているようだ。韓国の国家観がきっとそこにあるのだろう。しかし、芝を貼ったその古墳は、管理が行き届いており、非常に綺麗だ。この大陵苑の中には有名な天馬塚がある。現在古墳内部が展示室のようになっていて、古墳の構造や副葬品が並んでいる。残念なことにこれらはレプリカで、本物は国立博物館にある。しかし、話によると、この古墳の発掘では、ほぼ墳丘すべてを掘ってしまい(構造上トレンチ調査では、主体部にたどり着けない。)、ほとんど、すべてが新しい盛土だという。もっとも、そうでなければ、古墳の中にこのような展示空間を再現できない。
大陵苑を後にして、雁鴨池(アナプチ)に行った。3度目の慶州訪問にして、はじめて雁鴨池をみた。内部はいくつかの建物が復元されており、他の建物は貼芝土壇表示。しかし、広大な池は曲線を多用した汀線と3つの小島、けい石や森、そして、水の入水地には石槽を二つ並べた導水石造物がある。まさに、日本と韓国の交流を端的に示す遺跡だ。雁鴨池の復元建物の中に、月精橋の復元模型が展示されていた。これまでの報告などで、私の橋のイメージは橋脚と欄干などの上部構造は一般的な橋だと思っていた。しかし、復元模型では橋のたもとに、門状の楼閣建物が両側にあり、橋も屋根を架け、瓦葺の立派なものとしている。本当にこのような構造の橋だつたのか。瓦が周辺から大量に出土したとは聞いていないし。とおどろいていると、さらにびっくりしたのは、この橋が現在、復元工事が始まっていると聞いた。さっそく現地に行くと、すでに基礎部分の工事が始まっていた。本当に、模型のような橋を造るようだ。
その後は、皇龍寺へ、さすがにスケールが違う。日本でも吉備池廃寺や大官大寺など大きな寺はあるが、壮大な伽藍だった。ここでも、今後九重塔を復元する構想があるらしい。
この夜は韓定食を食べて、終了。
最終日、明活山城を訪れた。壮大な石垣が復原されていたが、発掘成果とは少し違うようだ。韓国の復原には眉ツバものがある。要注意である。そして、一路、帰路についた。
その後、大陵苑へ。こには大小多くの古墳が整備されている。腰高に復元された古墳は、本来の推定される規模とは、やはり大きく作られているようだ。韓国の国家観がきっとそこにあるのだろう。しかし、芝を貼ったその古墳は、管理が行き届いており、非常に綺麗だ。この大陵苑の中には有名な天馬塚がある。現在古墳内部が展示室のようになっていて、古墳の構造や副葬品が並んでいる。残念なことにこれらはレプリカで、本物は国立博物館にある。しかし、話によると、この古墳の発掘では、ほぼ墳丘すべてを掘ってしまい(構造上トレンチ調査では、主体部にたどり着けない。)、ほとんど、すべてが新しい盛土だという。もっとも、そうでなければ、古墳の中にこのような展示空間を再現できない。
大陵苑を後にして、雁鴨池(アナプチ)に行った。3度目の慶州訪問にして、はじめて雁鴨池をみた。内部はいくつかの建物が復元されており、他の建物は貼芝土壇表示。しかし、広大な池は曲線を多用した汀線と3つの小島、けい石や森、そして、水の入水地には石槽を二つ並べた導水石造物がある。まさに、日本と韓国の交流を端的に示す遺跡だ。雁鴨池の復元建物の中に、月精橋の復元模型が展示されていた。これまでの報告などで、私の橋のイメージは橋脚と欄干などの上部構造は一般的な橋だと思っていた。しかし、復元模型では橋のたもとに、門状の楼閣建物が両側にあり、橋も屋根を架け、瓦葺の立派なものとしている。本当にこのような構造の橋だつたのか。瓦が周辺から大量に出土したとは聞いていないし。とおどろいていると、さらにびっくりしたのは、この橋が現在、復元工事が始まっていると聞いた。さっそく現地に行くと、すでに基礎部分の工事が始まっていた。本当に、模型のような橋を造るようだ。
その後は、皇龍寺へ、さすがにスケールが違う。日本でも吉備池廃寺や大官大寺など大きな寺はあるが、壮大な伽藍だった。ここでも、今後九重塔を復元する構想があるらしい。
この夜は韓定食を食べて、終了。
最終日、明活山城を訪れた。壮大な石垣が復原されていたが、発掘成果とは少し違うようだ。韓国の復原には眉ツバものがある。要注意である。そして、一路、帰路についた。