今、仙台に向かっています!んでそこから遠野駅にバスで向かうのです

なんでかというとボランティアするためです!珍しいことに部活が一週間オフなのでこれを有効活用して釜石や大槌でボランティアしようと思いました
遠野には遠野まごころネットというボランティア団体があり、そこで紹介して頂く予定です
迷惑にならないようにしっかり働いてきます




登山家の野口健さん。
今ではすっかりおなじみの有名な登山家ですね。バラエティー番組にも出演しています。
ちなみに俺が小学校の時に遠野に講演しに来たこともあるんですよ!!
その野口さんが広島の呉市立港町小学校での講演会をなさって、その内容が朝日新聞に載っておりました。大まかな内容としては登山での様々な体験を語り、命の大切さについて子供達に語っていた内容でした。
その中で印象深い言葉がありました。
「見ることは知ること。そして同時に、知った事実を背負うことでもある。僕はゴミだらけのエベレストや富士山を自分の目で見て、知ったから、ゴミを拾う活動を始めたんだ」
もし、この言葉を肯定的に捉えるならば、まず野口さんの実績を理由に出してとても説得力がある言葉だといえそうです。実際に野口さんは何度もエベレストを登っており、富士山のゴミを拾うという環境的に良い影響を与える活動をされています。仲間が死んでいく場面やゴミで汚れた富士山を実際に目で見たからこそ、そのことは野口さんに大きな影響を与えて実際にゴミを拾う活動をしているのでしょう。ということはこの言葉は説得力があると考えられそうです。
では反対に否定的に捉えるならどうなるか?
見ることイコール知ることという関係はよしとして背負うことということはどうなんだろう?いや、背負う必要はないのではないか?と疑問が湧きます。今の時代は実に多くの情報が私たちの目の前に現れてあっという間に去っていく。そんな情報化社会の中で、私たちが見たことすべてを背負っていくことは不可能ではないでしょうか?あれもしなければいけない!これもしなければいけない!とあらゆることを始めれば当然中途半端な分野は出てくるだろうし、お前は何者なんだ!と突っ込まれそうです。
私は、この言葉を肯定的に捉える立場にあります。理由は、私自身の経験から納得できたからです。
まだ日本で住み始める前、私の日本に対するイメージはとてもひどいものだったと思います。
日本は悪者だという印象がほとんど全てでした。その理由は勿論、日韓併合の歴史にあります。ワールドカップで日本が負ければ大喜びをして日の丸を見るだけで嫌悪感を抱く・・・・こんな感じでした
でも日本で住み始めたらなんと、そこに住んでいる人はほとんどが親切で控えめなひとが多い。そして日本は世界から尊敬をされている。今回の震災後の日本人の姿勢に対する外国人もそうでした。まぁ実際は被災地に強盗に入るやつもいましたが・・・・・・・
まさに僕は実際の日本を見て、知りました。そしたら今度は日本を背負っていかなければならない。
野口さんの言葉によると僕がすべきことはこれなんですよね。
僕はそうする覚悟はあります。日本を担う人材として働くことに抵抗感はない。なぜなら日本が好きになったから。
個人的には野口さんが言っていることは背負うというのは義務なんじゃなくて見たものがインパクトある衝撃的なものであるなら背負うということを厭わなくなるということなんじゃないかと思います。だから自分にとってインパクトあるものに出会うために様々なものを見ようということが野口さんが言いたいことなのではないかと思いました。
長々と書いてしまいましたが色んなものを見て知って、そして自分の考え方がガラッと変わり、背負うという段階まで持って行かれるインパクトあるものに出会うということが大事なんじゃないかというのが結論です。
久々だったんでいっぱい書いちゃいました(=⌒▽⌒=)