名女優・八千草薫さんが、24日の午前7時45分、膵臓(すいぞう)がんのため、88歳でこの世を去った。
今年の2月に、膵臓から肝臓にがんが転移したことを公表し、
「体調を整えまして、より一層楽しんで頂ける作品に参加出来るよう、帰って参ります」
とコメント。その後は療養に専念していたが、残念ながら復帰はかなわなかった。
芸能界からは、その死を惜しむ声は多くあがっている。八千草さんの宝塚歌劇団の後輩にあたる女優の浜木綿子さんは、所属事務所を通じてこのようなコメントを発表した。
「本当に美しい方で芯には強いものをお持ちでした。
あのお年まで美しさを保っていらっしゃいましたし、まだまだおやりになりたかったと思います。(略)最近、山登りしていらっしゃいますか?とお尋ねしますと、年ですからやめましたと仰いました。(略)また一人、また一人と上級生がいらっしゃらなくなって寂しいです。
心よりご冥福をお祈り申し上げます」(※編集部抜粋)
八千草さんは、2013年には本誌で林真理子さんとの対談に登場している。当時主演した映画「くじけないで」で、90歳を超えて詩を書き始め、101歳で亡くなった詩人の柴田トヨさんの人生を演じた。八千草さんの年齢より年上の役ということで、たとえばベッドからおりるシーンでは、
「パッパッとおりてないつもりでも、どこかが早くなるんですね。監督に『ゆっくりね』ってよく言われました」
腰が曲がった演技をするため、
「毎日腰を曲げてますでしょ。私、このままずっと腰が痛くなるのかなと思いましたよ。年をとってくるとすべてが大変になるんだなと思いましたね」
と、撮影時のエピソードをまじえ、林さんに語っていた。
八千草さんの代表作のひとつが、1977年に放送された主演テレビドラマ「岸部のアルバム」。一見幸せそうに見える中流家庭だが、家族それぞれが問題を抱えている。家族とは、親子とは、を問いかける作品で、当時大きな話題を集めた名作だ。
同作で八千草さんの息子役としてデビューした俳優の国広富之さんが、「母」の死を悼み、本誌に語ってくれた。
「デビュー作でとても優しい母親役を演じていただき、その後45年間、俳優を続けてきたなかで、同じ俳優としても、生涯現役でいらっしゃったということはとてもうらやましくもあり、尊敬もしていました。当時はまだ40代でした。おきれいな方で、自分の母親とも同年代でしたし、会うたびに緊張する存在でもありました。会えなくなるのはとても寂しくて残念です」
葬儀はすでに近親者の間で済ませ、お別れの会などの予定はないという。
映画「宮本武蔵」、「蝶々夫人」、「ガス人間第一号」、テレビドラマ「阿修羅のごとく」、「独眼竜政宗」、「やすらぎの郷」など、数多くの出演作の中で、その美しさはいつまでも色あせることはない。
寅さん50年 男はつらいよを読む-吉村英夫】(3)あるいは恋が実るかも
寅次郎の恋が実ったらシリーズは終わってしまう。男はつらいよ48作品は長大シリーズとしてギネスブックに載っているようだが、山田洋次はよくぞ四十八手の愛の出会いと別れを考えたものだと感心する。美女との出会い、熱愛、失恋を、通り一遍のものにしては新鮮さを維持できない。いつか寅の愛情物語は、失恋らしからぬ別れというパターンも出てくる。
第10作『寅次郎夢枕』(主なロケ地・山梨県)は、寅の恋が実りそうになり、慌てて身を引いて逃げ出す異色の展開となる。
とらやに東大助教授(米倉斉加年)が下宿。このセンセイが寅の幼なじみの千代(八千草薫)に恋をする。だが学問の天才でも恋愛には弱い。「僕はね、今までに恋を研究したことがないもんだからよく分からないんです」。
センセイの告白を聞いた寅、その道では百戦錬磨である。自分も千代にぞっこんであるのに、侠気(おとこぎ)を発揮して恋の使者になる。センセイの代理でプロポーズする。ところが千代は寅自身からの求愛だと勘違い。
「私ね、寅ちゃんと一緒にいると、なんだか気持ちがホッとするの。寅ちゃんと話しているとね、ああ私は生きてるんだなァって、そんな楽しい気持ちになるのよ。寅ちゃんとなら一緒に暮らしてもいいって…」
寅は千代の気持ちを聞いてびっくり、千代の思いを受け入れる心の準備などできていない。千代は代理告白だと知ってがっくり。寅の狼狽ぶりに事情を察して結局「冗談よ」とごまかし、まずは寅の失恋とあいなる。
寅の誇張した動作と、真剣に迷う千代の様子のちぐはぐがおかしい。渥美清はコメディとして演じ、八千草薫は女心のリアルな演技に徹する。