ホームレス。いわゆる路上生活をしている人たちを指す言葉だ。貧富の格差が広がる先進国において、最貧困層と言ってもいい。厚生労働省の調査によると日本のホームレスは年々減少傾向にあるものの、2019年1月時点で4555人(うち女性は171人)いる。
そんなホームレスたちがなぜ路上生活をするようになったのか。その胸の内には何があるのか。ホームレスを長年取材してきた筆者がルポでその実態に迫る連載の第12回。

「あっけなく亡くなってしまうホームレス」
多くのホームレスは、いつ命を落としてもおかしくない過酷な状況にある。
彼らのほとんどは60歳以上の男性だ。75歳以上の後期高齢者も少なくない。つまり平均的な生活をしていても病気になる可能性が高い年齢の人たちだ。彼らの住まいはとても過酷な環境だ。夏は暑く、冬は寒い。雨風も完全には防げない。老人にはひどくこたえる環境だ。
それに加えて彼らはまず予防医療を受けられないし、病気になってもなかなか病院には行けない。それどころかホームレスの平均的収入では、風邪薬を買うのさえ難しい。
 
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僕がホームレス取材を始めた頃、上野公園には1000人を超えるホームレスがテントを張って生活していた。その頃は不定期的に「特殊清掃」という活動がなされていた。朝からホームレス全員が荷物を全部持っていったん立ち退き、その間にゴミなどを片付けるのだ。
清掃日時は事前に知らされているので、ホームレスの人たちは朝から黙々と用意をして移動する。しかし、時間を過ぎても一向に移動しないテントがポツリポツリと残る。

「そういうテントを開けてみると、中で冷たくなってるってことが多いよ。冬場のほうが多いね。とくに酒飲みはね。俺も気をつけないと危ねえなあ」
当時、上野公園で生活していた男性(60代)は教えてくれた。警察が呼ばれ、遺体が淡々と運ばれていく。
僕が取材で話を聞いた人も、あっさり亡くなってしまった。
「上野公園では、ホームレスはこんな簡単に亡くなっていくのか……」と、強い衝撃を受けた。
 
【ほとんどは引受人が見つからない】
ホームレスが亡くなった後はどのような扱いをされるのかを簡単に説明しておきたい。ホームレスの多くは、身元がわからない場合が多い。今回は、結果身元が判明しなかった場合のホームレスに絞る。
遺体の発見者などが警察に通報し、警察官が現場に確認に向かう。調査をして身元がわからない場合「行旅死亡人」の扱いになる。「行旅死亡人」とは氏名・本籍・住所がわからず、遺体の引き取り手もない死者のことだ。
 
遺体は「行旅病人及行旅死亡人取扱法」にのっとり、亡くなったことを確認した自治体に受け渡される。
これは、戸籍法の第92条第1項「死亡者の本籍が明かでない場合又は死亡者を認識することができない場合には、警察官は、検視調書を作り、これを添附して、遅滞なく死亡地の市町村長に死亡の報告をしなければならない」にのっとっている。
ちなみに、遺体そのものは、自治体に受け渡されず、警察当局から葬祭業者に運ばれ、そこで保管される。
 
その「家」の前には、静かに花が添えられていた
自治体は、死亡の届け出と火葬許可を役所内で迅速に取る。同条第3項「第1項の報告があった後に、(省略)死亡者を認識したときは、その日から十日以内に、死亡の届出をしなければならない」にのっとって処理されるのだ。火葬許可が出たのち、葬祭業者が火葬を実施し、お骨についてはその後3年間はそこで保管される。
 
まったく引受人が探されないわけではない。政府が一般国民に知らせる事項を編集し、毎日刊行されている“官報”には、行旅死亡人の情報が載せられる。氏名・本籍・住所は不明と書かれるが、亡くなったときの本人の特徴(体格、頭髪、服装)や発見された日時と場所、推定死因も記載される。最後には「心当たりの方は連絡ください」と書かれている。
だが官報をチェックしている人は、ほぼいないのが現状だ。だからほとんどの場合、引受人は見つからない。万が一に見つかった場合も受け取りを拒否されることも多い。

引受人が現れない場合、合葬にされる。例えば川崎の場合、川崎市高津区にある無縁納骨堂でなされる。火葬や官報の掲載料などの費用については、自治体が立て替えることになる。
ホームレスがたくさん住んでいる、いわゆるドヤ街でも悲劇は日常的に起こっている。
2013年頃の真夏に、僕は東京のドヤ街である山谷を取材していた。
 
明治通り沿いの歩道に男性が仰向けで寝ていた。ドヤ街ではよくあることなので、とくに気にとめなかった。多少顔色が悪いかな?と思ったくらいだった。取材を終えて戻ってくると、救急車が到着していて彼を運び入れていた。
 
一部始終を見ていた男性に話を聞くと、「いつの間にか亡くなっていたみたいだね。酔っ払って日向で寝ているうちに熱中症になったんじゃないかな? 夏場は危ないよね」と淡々と言う。ドヤ街ではたまに人が亡くなっているのを見るので、慣れっこになっていると言われた。
ドヤ街では8月に夏祭りが開催されることが多い。路上生活者、日雇い労働者や、支援団体などの人たちで盛り上がるお祭りだ。
はなやかで楽しいお祭の片隅には、過去1年以内に亡くなったホームレスの写真が貼り出される。壁に何十枚も貼られた写真を見て、人知れずこんなに亡くなっているんだといつも驚く。
 
【死因で最も多いのは「がん」】
僕が1999年に名古屋の笹島で開催された夏祭りを取材しているとき、どのような人がどのような死因で亡くなったのかを発表していた。
実に44名が亡くなったのが確認され、死因の1位はがん、2位は心臓病、3位は自殺だった。そのほかにも、ひき逃げ、他殺、焼死など、事件性の高い死因もあった。いつ亡くなったのか、死因がなんだったのか、わからない遺体もあったという。
ただ1位の死因ががんというのは、少し意外だった。お祭りに来ていた男性(70代)に話を聞く。
 
「身体が悪いと思っても病院には行けないからね。お金もないし、保険証もない。痛くてもジッと我慢するしかない。どうしても我慢できなくなって病院行ったら、もうとっくに手遅れで死ぬしかないんだよね……」
と少し悔しそうに言った。彼自身も持病があり、悪化しているそうだ。
 
公園に張られたテントの中で、孤独にひたすら痛みに耐える老人の姿を想像して、胸が痛くなった。
現在は駅舎や公園内では野宿生活者を排除する方向にあり、ほとんど見かけなくなった。排除の実施があまりなされていない多摩川や荒川の河川敷に住んでいる人は多い。

僕は何年にもわたり、河川敷沿いに建てられた小屋を一軒一軒訪ねていって話を聞いている。久しぶりに訪ねると、
「小屋が荒んでいるな」
と思うことがある。人が住まなくなった家は、傷みが早くなるとよく言うが、ホームレスの小屋はより顕著に劣化する。ひょっとして……と思い近づくと、小屋の入り口に花がたむけられ、線香を燃やした跡がある。
ボランティア団体などが、亡くなっているのを発見して警察に連絡したのだ。そんな人が亡くなっていた形跡のある小屋は、本当にたくさんあった。
 
一般的に人が亡くなった物件は「事故物件」と言われ、忌避される傾向にある。家賃を下げる特別なサービスを実施する物件もある。ただし多摩川の小屋では、そうとも限らなかった。河川敷のかなり年季の入った小屋に住む男性(60代)に話を伺った。
 
「数カ月前に家を失ってここにやってきた。テレビで河川敷に住んでいるホームレスの特集を見て、多摩川に来たらなんとかなるんだろうと思ってた」
ただ河川敷に来ても、寝る場所はあまりない。雨のあたらない橋の下で、段ボールを敷いて寝るしかない。
器用に家を建てているホームレスが多いのは、もともと建築関係の仕事をしていた人が多いからだ。小屋を建てるには技術と道具が必要だし、材料も捨ててあるものだけでは無理だ。まったく建築関係では働いたことがない彼が、小屋を建てることはとてもできなかった。
 
【「事故物件」でも、暮らせるだけでありがたい】
「どうしようか? と悩んでいたら『俺が住んでる小屋の前の小屋、人がいなくなったから住んだらいいよ』って声をかけられた」
渡りに船だと思い、移り住んだという。
住んでいた人が亡くなっている物件だと聞いても、嫌な気持ちにはならなかった。
 
「雨風がしのげて、まともに暮らすことができるだけでありがたかったよ。人が死んだ場所だから気持ち悪い、とかぜいたく言ってる場合じゃなかったからね」と言われた。
 
河川敷に立ち並ぶ家
確かに、命の危機が迫っているときに「なんとなく気持ちが悪い」というような曖昧な恐怖は消し飛んでしまうのかもしれない。
河川敷は、自然災害の犠牲にも合う可能性が高い。大型の台風が来た際は、彼らが住む河川敷まで水位が上がる。
台風が近づく予報が出されると、役所の職員がやってきて「避難してください」という避難勧告がなされ、小屋に張り紙を貼っていく。ただ、それでも移動しないという人は多い。
「俺の小屋のところまでは、絶対に水位は上がらない。それは俺がいちばん知ってる。もう5年も住んでて1度も水が来ていないんだから」と自信たっぷりに語っている人もいた。
 
しかし大きな台風が来たときは、河川敷全体が冠水してしまうこともある。洪水の際の水の跡が残っている小屋も多い。
冠水した場合、小屋や持ち物が流されてしまうこともあるし、逃げずにいた人も流される場合がある。
2005年頃、川崎競馬場の近くにテントを建てて住んでいたホームレス(50代)に話を伺った。彼の知り合いは、多摩川の河川敷に住んでいて台風の被害にあったという。
 
「嵐のときにはいつも増水するんだけど、そのときは上流でダムが放流しちゃって、鉄砲水みたいになっちゃったんだって。そいつはテントごと流されちゃった」
濁流に飲み込まれ、知り合いはそのまま下流へと流されていった。
 
「そいつが言うには水は怖くなかったけど、流木が怖かったって。すごいスピードで流れてくる流木にぶち当たったらそれでお陀仏だからね」
僕は名古屋出身なので、小さい頃は親族や先生に伊勢湾台風の被害をよく聞いた。中でも怖かったのは、道路を流れてきた流木に当たって大勢が亡くなった話だった。
 
「そいつは運よく助かったけど。そのときは、6人くらい行方不明になってた。住所不定無職の人がいなくなっても、大きなニュースにはならないけどね。でも本当はもっと(亡くなった人は)たくさんいたかもしれないね。そもそもどこにどんな奴が住んでいるか、明確には誰もわかっていないんだから」と、彼は言った。
 
【ある日現れた、若いホームレス】
2013年頃、多摩川の河川敷に小屋を立てて住む男性(70歳)に話を聞いたことがある。
彼が住む小屋はかなり年季が入っていた。小屋は彼自身が作ったという。
彼の小屋の隣には、まだ真新しい小屋が建っていた。ホームレスの小屋は、流されてきた廃材などで作ってあることが多いが、その小屋は新品の材料で作ってあるように見えた。
 
「ある日『横に小屋を建てていいですか?』って言われたんだ。俺よりはちょっと若い人だったと思う。別にそもそも俺の土地じゃないし、構わねえと思うよって言ったら、黙々と小屋を建て始めた」
その小屋はとても几帳面に、丁寧に作られていたという。彼はとても感心したと言った。

「完成して住み始めたけど、数日後にはもう出入りがなくなっちゃったんだ。それで、なんか嫌な予感がしてドアを開けてみたら、その彼が小屋の中で亡くなっていたんだよ」
警察が言うには、酸欠で亡くなったのだろうということだった。小屋の中で火を使い、酸素が足りなくなったのだ。
 
「事故死か自殺なんだかよくわからないんだよね。小屋を丁寧に作りすぎたせいで換気ができなかったのかもしれない。もしくは、どうせ死ぬならキレイな場所で死にたいと思って丁寧に小屋を作ったのかもしれない。どちらにせよ、やりきれない話だよね。
すごい広い土地があるのにわざわざ俺の小屋の隣に建てたのは、俺に死んだのを気づいてほしかったのかな?とも思うよ」と語った。
 
【自殺や暴行で亡くなった話も…】
ホームレスが自殺をしたという話も、時々耳にした。
東京都庁舎の隣りにある、新宿中央公園で60代の男性に話を聞いていると、知人が亡くなったと言っていた。亡くなったのも男性で、同い年くらいだと言っていた。
 
「彼は、公園で出会った女性と付き合ってたんだけどね。振られちゃってずいぶん落ち込んでたんだけど、ある日公園の木で首を吊って死んでたんだよ」と寂しそうに語る。彼いわく、その女性も男性の死後、公園内で居場所をなくしてしまい、いつの間にかいなくなってしまったという。
 
1999年頃、名古屋の100メートル道路の下の公園では、「元ヤクザのホームレスが、気の弱いホームレスをいじめて自殺に追い込んだ」という何ともいたたまれない話も聞いた。
絶対数は少ないが一般人による暴力により亡くなったホームレスや、ホームレス同士で縄張り争いになったあげく殺人に発展したというケースも実際にある。
 
例えば2015年には、2004年に大阪の淀川の河川敷でホームレス仲間を殺して現金約100万円をうばったとして2人の男性が逮捕された。ホームレス仲間の男性の手足を粘着テープで縛り、河川敷に掘った深さ2メートルの穴に生き埋めにして殺害するという、信じられないほど残虐な事件だった。
 
被害者が埋められていた場所を確認すると、僕がよく取材に行っていた地点と目と鼻の位置だった。
淀川で話を聞かせてくれたホームレスの人たちは優しい人が多かった。だから、とても複雑な気持ちになった。
 
今回は、ホームレスの最期についてのルポルタージュを書かせていただいた。日本には誰に知られることもなく、そして誰だったのかもわからないまま、亡くなっていく人たちがいるということを、時には心にとめたいと思った。