28歳のときにスピード結婚とスピード離婚を経験し、「結婚恐怖症」になっていたと自己分析する女性がいる。2年前に10歳年上の男性と再婚した鈴木美里さん(仮名、46歳)だ。
出会ってから7カ月後に再婚しているのだから、またしてもスピード結婚と言えるだろう。最初の結婚とどんな違いがあるのだろうか。いろいろ聞いてみたい。
■失敗した初めての結婚の経緯は…
「結婚はしたいけれど、また失敗したくないと思って逃げていたんだと思います。結婚指輪や『ゼクシィ』を見るのすら嫌でしたね。出雲大社のお参りやヒーリングも経験しましたが、結局のところは時間で癒えたのだと思います。10年かかりました」
勢いよく話す美里さん。笑顔を絶やさず、こちらにも気遣いをしてくれる女性だ。失敗を恐れるような人物には見えない。当時の美里さんは激務で知られる華やかな業界で働いており、結婚生活よりも仕事に打ち込みたかったのかもしれない
。
最初の結婚相手を仮に真治さんと呼ぶことにする。同じ会社で働く4歳年上の先輩だった。交際後4カ月で結婚した理由を、美里さんはやや露悪的に振り返る。
「所属する班が違っていたので、お互いの顔を知ってはいても話したことはありませんでした。あるとき帰り道にバッタリ会って飲みに行くことになり、そのまま付き合うことになったんです。好きになったわけではありません。スペックが私にちょうどいいなと思いました。早稲田や慶応などの一流大卒だと萎縮してしまうけど、彼は手ごろな大学の出身です。
私はあまり男性経験がなくて、どんな男性が自分に合うのかがわかりませんでした。28歳という年齢で焦っていたので、このへんで手を打とうと思ってしまったんです」
結婚後、真治さんとは常識すら合わないことが判明する。待ち合わせに2時間も平気で遅れてくる彼を問い詰めると、「雪を見ていたんだ」と返されたことがある。悪い人ではないが、感性重視すぎる。聞けば、今までの恋人も同じような感覚。相手は3時間遅れでやってきて、1時間待ってくれたことを感謝されたらしい。
本人以上に「合わない」と感じたのは、その母親だった。平日の朝7頃に電話をかけてきて、美里さんととりとめのない話をしたがる。その頃の美里さんは終電どころか始発電車で帰宅するような日々。とても相手ができないと断ると、「うちで一緒に住もう。根性をたたき直してあげる」と言われた。同じように忙しい真治さんはそのまま自宅で暮らし、「嫁」だけが夫の実家に移るという提案だ。美里さんが受け入れるはずはない。
本人以上に「合わない」と感じたのは、その母親だった。平日の朝7頃に電話をかけてきて、美里さんととりとめのない話をしたがる。その頃の美里さんは終電どころか始発電車で帰宅するような日々。とても相手ができないと断ると、「うちで一緒に住もう。根性をたたき直してあげる」と言われた。同じように忙しい真治さんはそのまま自宅で暮らし、「嫁」だけが夫の実家に移るという提案だ。美里さんが受け入れるはずはない。
「1年で別れてさっぱりしたと思っていたのですが、離婚してしまった自分にダメ出しをする日々が続きました。私の両親も『結婚したら婚家に合わせるものだ』という意見です。でも、あの人の家に合わせていたら私がおかしくなっていたでしょう」
■30代後半で、再び恋人ができるが…
離婚の傷が癒えるまでに10年間は必要だった美里さん。30代後半になり、6歳年上の「貧乏なのに派手好きな人」と付き合い始める。出会いの場は、男性は高級車のユーザーだけという合コンだった。
「前の結婚で失敗した原因は男性経験が少なかったからだと思って、チャラい人が多い場所に顔を出していました」
反省の仕方が間違っている気もするが、何の行動もしないよりはいいのかもしれない。美里さんはその恋人と3年間付き合った。
「浮気はしないし、外食や旅行では私にお金を出させない人でした。でも、貯金をまったくしない。結婚の話が出たこともありますが、お互いに『無理だよね』と話していたんです。先のない生活に私が飽きてしまいました」
別れたのは42歳のときだった。やっぱり結婚したいと思った美里さんは結婚相談所への入会を検討する。しかし、離婚歴のある42歳の女性で、かつ実兄が大病を患っていることなどを理由に入会を断られてしまう。
「ちゃんと婚活をしたのは初めてだったので、そのことだけでめげてしまいました」
それでも外に出続けていた美里さんに良縁が訪れる。現在の夫である敏夫さん(仮名)が毎月のように広い自宅マンションで開催していた30人規模のホームパーティーに参加したのだ。ただし、「良縁」だとはまったく感じなかったと美里さんは振り返る。
「友人に連れていってもらったのがきっかけです。私は規模が大きすぎないパーティーやBBQのお手伝いをするのが大好きなので、何度か参加しました。漁港から取り寄せた魚や珍しいワインを味わったりする大人のパーティーで楽しかったです。
でも、主催者でモテるはずの夫の第一印象は『無理!』(笑)。家を見ると人となりがわかると思うのですが、本やCDが山積みの部屋で、ジャズやコーヒーにハマっている彼を見てウザいなと感じました」
でも、主催者でモテるはずの夫の第一印象は『無理!』(笑)。家を見ると人となりがわかると思うのですが、本やCDが山積みの部屋で、ジャズやコーヒーにハマっている彼を見てウザいなと感じました」
一方の敏夫さんは美里さんに一目惚れしたらしい。ジャズのライブに誘われるようになり、毎週のように会う間柄になった。そして、ちょっと暗くてこだわりが強すぎるところがあるけれど、誠実で礼儀正しい敏夫さんを美里さんも好きになっていた。
■一緒にいて苦でないのなら、ゴールを目指すべき
「彼が私のどこを好きになったのかは不明です。でも、ホームパーティーを何度もやっているとリズム感のようなものが似ていることがわかりました。一緒にいて嫌じゃない空気というのでしょうか。デートに誘われて半年後にはなんとなく結婚することになりました。またしてもスピード婚です。私は反省が足りないのでしょうか……」
ここまで書いていて、美里さんは前回記事の女性と少し似ていることに気づいた。20代で結婚と離婚を経験し、自己嫌悪に陥ったものの結婚への意思と行動力は持ち続け、「ご縁」をつかんだ後は数カ月で結婚の決断をした。
早めに結婚を決めたことを恥ずかしがる必要はないと筆者は思う。手痛い体験をすると、同じような失敗だけはしなくなるからだ。頭ではなく、体が「この道は自分が歩く道じゃない」と覚えてくれる。「一緒にいて嫌じゃない」と感じるのであれば、考えすぎずに前に進んでいいと思う。
ただし、自分が選んだ道を歩きやすくする努力と工夫も必要となる。美里さんの場合は、結婚して最初の1年間は共同生活が「すごく大変だった」と振り返る。
「わさびは本物をすりおろしたものじゃないとダメだ、などの面倒くさいこだわりが多かったんです。彼は自信がなかったのだと思います。父親もお兄さんも超高学歴で、自分だけがそうではないからです。私にも自信のなさが原因のこだわりがあるのでわかります。『与えられたものを批判するのは簡単だよね。でも、そういうくだらないこだわりがあるからモテないんだよ』と指摘し続けました。
彼は怒ったりはしません。事実ですから。1年ぐらいかけて心がほどけていったみたいです。今はチューブのわさびでも満足しています(笑)。見違えるほど性格が明るくなり、服装も変えてもらったらカッコよくなりました」
事実だから怒らなかったのではないと思う。妻である美里さんの愛情を感じていたからこそ、敏夫さんは素直に聞く気になったのだろう。不要なこだわりがなくなり、朗らかで付き合いやすい大人になれる――。他者と人生を分かち合うことで得られる大きな成果だ。
事実だから怒らなかったのではないと思う。妻である美里さんの愛情を感じていたからこそ、敏夫さんは素直に聞く気になったのだろう。不要なこだわりがなくなり、朗らかで付き合いやすい大人になれる――。他者と人生を分かち合うことで得られる大きな成果だ。
2人の結婚にはほかにも幸せな副次効果があった。お互いの親を大切にできていることだ。結婚直後、美里さんの母親が足を患い、当面は自力で歩行できない状態になった。美里さんとの仲はよくなかったのだが、新婚の自宅に来てもらって通院とリハビリを手伝うことにした。献身的に支えたのはむしろ敏夫さんのほうだった。
「トイレまで母をおぶってくれたり、家の中にDIYで手すりをつけてくれたり。それでも『オレはエラい』という態度にはならず、母を立ててくれました。いま、母と夫はすごく仲良しです」
■2人で問題解決ができることの重要性
晩婚さんは新婚でありながら親の介護に突入していることが少なくない。配偶者とどのような形で協力できるかは、育児の次ぐらいに重要な課題と言える。美里さんと敏夫さんの場合は、課題解決のパートナーとしての相性もよかったようだ。
「しばらくすると彼の母親が心臓の手術を受けることになりました。ちなみに、前の結婚のときとは違って、『根性をたたき直す研修』を勧めるような義母ではありません。今度は私の出番です。親もお世話になった病院のつてをたどって、心臓外科の名医に執刀してもらうことができました。私はそういうことは得意ですから」
出産と育児に関しては年齢的に諦めることにして、2人で犬を飼ってかわいがっている。「お互いを(愛犬の)パパとママと呼ぶような寒いカップルになっています」と笑う美里さん。いま、「一緒にいて嫌じゃない」相手との和やかな暮らしを満喫しているのだろう。