発達障害と診断されて感じたこと
「無邪気に“私じゃなくて発達障害のせいだったんだ”と思えたのは、最初だけでした」
42歳のときに発達障害の診断を受けた小野明美さん(仮名・48歳)は、安堵した。コンビニのアルバイトが上達しなかったこと、職場でいじめを受けたこと、元夫とうまく夫婦喧嘩ができなかったこと、糖尿病を患ったこと――発達障害ならばどれも仕方がなかったことなのだ、と。私ではなく、発達障害のせいだったのだ、と。
診断に至ったきっかけは、コンビニのアルバイトだった。最初の3ヶ月程度、仕事をパターンの反復で覚えてなんとかこなすことができたのは、他に経験してきた仕事と同様だった。しかしパターンで覚えられなくなってくる頃からいつも混乱し、後輩にどんどん抜かれた。店長の妻から「あなたは4ヶ月目から伸びなくなっちゃったのよ」と苦言を呈されたことをよく記憶しているという。
ある日、同僚の店員から「掃除に何分かかってんの」と叱られ、客からは「アイスクリームが溶けちゃう」とクレームを言われた。パニックに陥り、周りの言葉が日本語でないように聴こえてうずくまった。その晩、「ひょっとして私も発達障害かもしれない」とふと気付いた。
当時、娘がすでに発達障害の診断を受けていた。にもかかわらず、自分自身がそれに該当するとはまったく考えていなかった。小野さんは、自分のことに思いを巡らせる余裕がなかったのだ。すぐに娘の主治医のところに行くと、発達障害の診断が下された。小野さんは“無邪気に”ホッとした、という。
「ああよかった」という思いは、ゆっくりと辛さに変わっていった。悔しさや怒りもふつふつと湧いてきた。
娘と自分自身の診断をきっかけに、発達障害について勉強をした。特性の理解はいやというほど深まった。考え出すと「脳内会議」が止まらない。そして理解が深まれば深まるほど、自分で過去の自分を精神的に殴りつけているようになってしまう。「こんなにできていなかったのか」「こんな風に思われていたのか」と思ってしまうことを止められない。パワハラのような目に遭っていたことにも後から気付き、怒りや悔しさがこみ上げてきた。さまざまな場面で、ゆっくりと過去がフラッシュバックしてくる。
職を離れた後に通った障害者職業訓練センターで行われていた特性理解の授業では、心の傷がえぐられた。「上司に声をかけるときには」などのテーマをグループワークで話し合っていると、かつての自分がどんな失敗を踏んできたか手に取るように理解できてしまったのが辛かった。さらに、ずっと我慢して生きてきている分、「それがしんどいことだ」という感覚がなかなかつかないと気付いた。自分をケアするという発想が、小野さんにはなかった。
7年間の結婚生活も喧嘩がうまくできなかった
元夫との結婚生活は7年間続いた。小野さんは、夫婦喧嘩がうまくできなかった。「それはひどい」「直してほしい」と、言いたいことを素直に伝えることができなかった。夫婦になってもなお、どこか自分を閉じているところがあり、自分を開け渡す面積が人より狭かった。今戻りたいかと問われれば「申し訳ないけど戻りたいとは思わない」という。結婚に向いてなかったのかもしれない、と小野さんは振り返る。
現在、小野さんは糖尿病を患っている。自分としては、発達特性と強く関係していると振り返っている。栄養を考えることや料理の段取りを決めるのが以前から苦手だったため、必死で作ってはいたものの、バランスや量の加減がめちゃくちゃだった。
小説で、登場人物がレシピをイメージしながらスーパーで買い物しているシーンを読んだとき、「“ふつう”の人はそんなことを考えているのか」とショックを受けた。ごぼうがあったら「ごぼうだな」と思うだけで、それ以上のことは考えずに買い物をしていた自分に気付いてしまった。
衝動性により、菓子パンなどを我慢できずにどんどん食べてしまっていたこともあった。ビスケットをつい、バリバリと食べてしまう。セールには飛びついてしまい、つい買ってしまう。さまざまなものが連鎖し、小野さんの今がある。
ただ、糖尿病の治療がうまくいっていることは救いのひとつだ。ヘルパーなどの支援体制を構築できたことが大きかった。ASD(自閉スペクトラム症※)の特性であるこだわりの強さで、食事について決めたルールをとにかく守れたことも奏功した。体重は14kg落とした。
就労は、率直に言えば「怖い」
ただ、診断から6年経った今でもまだまだ心が揺れている。「“ふつう”の人だったらこういうときはどうするのだろう」と考えることをやめられない。うまくいかないものごとの原因のひとつに、本当は「障害」という答えがあったのに、どこからも教えてもらうことができなかったという。「知らなかった私はバカみたい」と感じてしまう。戻れない過去を振り返るたび、悔しさがこみ上げてくるそうだ。
今は仕事をしていない。就労について率直に言えば「怖い」という。たびたび挫折してきた経験から、あと一回傷つけられたらもう立ち直れないと確信してしまっている。
娘たちの世代に対しては、何を伝えていけるのだろうか。
「悩みましたが、ありのままの私の背中をみてもらうのが一番かなと思いました。たとえ、それが希望ばかりでなくても。そこから気付いたことを生かして、どうか同じ轍(てつ)を踏まずに歩いてほしいです」