被災地の高校生に芝居のアドバイス。一人一人違う“震災”
NHKのEテレの企画で、『未来塾』というものに出演して来ました。東日本大震災の復興プロジェクトの番組です。
最初「東北の若者と演劇を創って、被災地で上演して、みんなを元気にしてくれませんか」と言われたので、「それは無理です」と答えました。
「元気にする」ということが目的なら、不可能です。芝居を見て、元気になる人もいるかもしれませんが、落ち込む人もいるかもしれません。
間違いなく元気にする作品が書けるなんて言い切れるほど、僕は能天気ではありません。
「それでは、とにかく震災をテーマに被災地の人に見せる作品を創っていただけませんか?」と言われたので、「一か月という短い時間では無理です」と答えました。
僕は震災をテーマに一度だけ作品を創りました。『キフシャム国の冒険』という演劇です。ただし、この時も「演劇で被災した人を癒すことはできない。慰めることもできないかもしれない。ただ、演劇を見ている2時間、せめて悲しいことを忘れられる作品にしたい」とインタビューなどで答えました。
7年前の3月11日、僕は東京の水天宮にいて、芝居の稽古をしていました。そんな僕が、被災地の人に向かって芝居を創るのは、簡単なことではありません。番組の企画では、被災地での発表まで一か月ほどしかありませんでした。自分になにができるのかを自分自身に問いつめ、探り、表現するには短すぎる時間です。
「じゃあ、何ができますか?」とさらに聞かれたので「被災地で芝居を創っている人がいたとしたら、その芝居の内容がより人々に伝わるために、演出上のアドバイスはできます。僕はプロの演出家ですから」と答えました。
番組スタッフがリサーチすると、大船渡高校の演劇部の顧問の多田知恵子先生が震災をテーマに作品を書かれていました。
その戯曲を読んで、アドバイスをさせてもらうことにしました。演劇部の高校生達とも何回か会いました。
「震災の記憶」をどうするのか
最初の稽古で、震災によって家族か親戚かを亡くした人はいますかと問いかけました。何人かの生徒が手を挙げました。
物語の主人公は、震災の津波で家族を亡くした男子高校生でした。彼は毎日、海を見つめています。そして、もう二度と大切な人を作らないと決めています。また失ったら、つらくてたまらないからです。
その役を演じる男子高校生が、なかなか演じにくそうに見えたので、いろいろとアドバイスをしました。
二週間後、また稽古をした時、彼は苦しそうな顔で、「僕が演じる主人公は両親を失った設定です。でも、僕は、幸いなことに震災で家族も親戚も失っていません。なのに、僕は被災地の人達の前で演じるんです。お客さんの中には、家族や親戚を失った人もいるでしょう。僕はどんな顔で演技したらいいのかわかりません」とゆっくり語りました。
上演を予定していた大槌町(岩手県)は、役場が津波に襲われて町長や役場の人達が大勢亡くなった所です。
大槌町に地元の劇団がありますが、震災をテーマに取り上げたことはまだ一度もありません。
僕は「作品がとても誠実だから、心配しなくていい。この作品は、単純に『絆』を強調したり、簡単に希望を謳っているわけでもない。肉親を失ったことに戸惑い、どう生きていいかわからない高校生が描かれているんだ。だから、想像力で誠実に演じれば大丈夫」と答えました。
演技に、実生活は関係ありません。必要なのは、リアルな想像力です。実生活が問題になるのなら、DVに苦しむ生徒役は、実際にDVを受けた人にしか演じられなくなります。
大槌町での上演の後、観客に感想を求めました。中年の女性が、「わからないと言っているのがとてもよかった」と発言しました。
主人公の男子高校生は、自分の気持ちがわからないと正直に言います。今、何が必要でどうしたいのか、わからないと。そもそも、演劇部も、「震災をテーマにした作品を創るべきだ」という生徒と「無理に創る必要はない」という生徒に分かれています。一人一人の震災は違うのです。
そして新たな問題が生まれます。7年たって、震災と共に「震災の記憶」をどうするかが問われるようになっているのです。